ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

サラの柔らかな香車

 

サラの柔らかな香車 (集英社文庫)

サラの柔らかな香車 (集英社文庫)

 

なんでこんなにポンポン短い章で時間が行ったり来たりして色々視点が変わったりするわけ? こういう形式で書かれなければならなかった理由が正直わからん。現代パートでそんなに興味を惹く場面が描かれているわけでもないんだし、キャラを立てるならあっちいったりこっちいったりしないで順繰り順繰り説明していけば良くね? ドキュメンタリー形式にするには、語り手の視点というか立ち位置というかについての納得感も全然ないしなあ。この構成が小説としての面白さに寄与しているようにはサッパリ思えない。

著者が元奨励会員ってことで、もしかしたら創作との距離を掴み損ねているのかもしれないとも感じる。才能や天才に対するあれやこれやが描かれているものの、その描写ってイマイチ洗練されていないというか、それこそ様々な将棋漫画で表現される天才への納得感には遠く及ばない。伝わるのはむしろ、その天才に圧倒されて夢を失っていった人間への憐憫で、うーん、あなたの失望に付き合うにはもうちょっと説得力もって天才を描いて貰わないとつきあえないなあという感じ。いやまあ逆に言うとその天才の天才と感じられなさが奇妙な魅力にもなっている気もしていて、あーいわゆるアレだ、サリエリを見ているオレら状態だ。

にしてもなんでライバルに難病みたいなスーパーロボットなキャラ付けしちゃったんだろうなあ。この作品で惹かれるのは元奨励会員の現実認識から染み出す逃れようのないリアリティで、でもそれだけじゃしんどいから共感覚ヒロインという異物が混入して読みやすくしようって感じの構造じゃないですか。だから将棋界はあくまでリアリスティックに表現されるべきだと思うのだけれども、いやあ、盲目の女王とかさすがに作意が強すぎて鼻白んでしまうわ。まあ村山聖とか藤井聡太とか事実は小説より奇なりを地で行っている業界ではあるんでしょうけど、それにしたってなあ……