ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

声優魂

 

 

なんかもー、いちいち頷くことばかりであんまり余計に書くことはないな……本当にその通りでございましょう、という感じ。

やっぱり産業として声優養成所ができてからでは、声優の質が違う、みたいな意識はあるんだなあ。もうある種の「老害」といわれてもおかしくない年齢の人が、こんなにあからさまにそいういう実感を書くのは、うーんやっぱり正直な人なんだなあ、と思わざるを得ない。そういう仕組みを理解して納得して行っている人に対しては、理解もきちんと描かれているしねえ。

声優としてのキャリアとしてはめっちゃ長いんだし、あと事務所としてもかなり責任のある立場なんだから、業界としてどうこう……という話をするべき立場なのかも知れないんだけれども、そういう感じでもないからなあ。本当に芝居が好きなんだろうなあ、と思う。

そして思うのは、役者として重要なのは技術ではなくて物語を読む力なんだろうなあ、というところ。この作品は視聴者にどのような感情を与えるために作られていて、それを引き出すにはどのような芝居が適切なのか、というコードを、自分の中の引き出しから引っ張り出してきて、現場で突き合わせる作業なんだろうなーとは思った。そういう意味で、「メタルギアソリッド」でのバラバラなお芝居が、実際にゲームになってきちんとキャラクターを語る物語になっていた――というのは、すげー特異な体験だったんだろうなあ。

Winny

winny-movie.com

警察の強引な取り調べみたいな知識もない人が、「世の中を良くしたい」と言ったところで限界があるよね。世の中を良くするためには世の中に対しての知識が必要なわけで、そこを「世間知らずのイノセント」で押し通そうとするこの映画の作りは本質的に大分危ない。この映画ではWinnyの有り得た可能性として告発の場としてのメリットが暗示されるわけだけれども、その後に出てきたウィキリークスが告発者の保護やら審議の検討にどれだけのコストをかけた買って話ですよ。根本的なアイディアが優れているように思えても、それを世の中に利益をもたらすものとして機能させるのには現実的に社会と折衝が必要なはずなのに、そこをすっ飛ばしてイノセントな「プログラミング無罪」としてしまうこの映画は、まー日本の技術者の社会性の無さを肯定しちゃってますよね。オードリー・タンやアーロン・スウォーツが、技術者としてどれだけ公的なものに対する関心が高かったかって話ですよマジで。

っていうかさー、WinMXの次だからWinnyって命名なワケで、MXの時点で社会的に「著作権が侵害されている」のが問題になっているのは自明で、なのにその点に対しての対策を「やめてください」の呼びかけだけでオッケーみたいな落とし所にしてるのは、まーヤバイでしょ? 法律的に責任が問えないのはその通りかもしれないけど、道義的な責任を感じない人間として肯定的に書くのはきついよ。そりゃナイフをつくった人は法律的に罪には問えなくても、ダイナマイトをつくったノーベルはノーベル賞をつくったし、アインシュタインは平和活動を熱心に行ったわけでしょ? 責任のある大人だったら、「山を登っただけ」ですまされない問題があることぐらい、あらかじめ知っておくべき何じゃないですかね? みたいな気持ちになる映画だった。

ま、そこら辺を疑問に思わせないくらい、警察の振る舞いはクソだし、マスコミもきちんとやるべきことをやる必要があるとは思うけどね。内容が面白くつくってあるだけに、そこら辺のバランス感覚に疑問を抱く内容の映画でした。

コンスタンティン

 

コンスタンティン [Blu-ray]

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  • キアヌ・リーブス
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キアヌ・リーブスの映画なんだけどよーやく見た。数日前に「マ・レイニーのブラックボトム」見てるから、まーキリスト教圏の人間については、信仰ってのはほんとテーマなんだなあと思い知らされた作品。

なんだけど、こっちは元がコミックなのもあって、結構設定のリアリズムが極端で面白いなあ。現代社会に悪魔が存在する、という設定をどうやって共感持てる所に落とし込むか、みたいなことは結構すっ飛ばしてOKなのはやっぱりキアヌ・リーブスの力なのか。いやまあしかしだからといって、こういう非キリスト教圏にも名前がわかる大物悪役が突然出てきてOKなストーリーの構成は思い切りが良さ過ぎだよなー。そしてそういう大物と、急に主人公が渡り合ったりするので、なんかこーこの世界のスケール感はこれでいいの? みたいに思ってしまう所はある。まーしかしそんな展開がOKになってしまうのも、キアヌ・リーブスの力って感じはやっぱりするな。

タバコの吸いすぎで余命幾ばくもない……って設定さえ予定調和のように解消されて……いやー、しかしだったらもうちょい劇的な契約みたいなのをした方がキャラとしてはいいと思うんだよなー。続編がこれだけ長い間宙に浮いているってのは、続編に繋げなければならないって圧が弱かったのかなーとも感じる。それとも単にそこまで売れなかっただけなのかしら?

ウィンターズ・ボーン

 

ウィンターズ・ボーン(字幕版)

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  • ジェニファー・ローレンス
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あー、ハンガー・ゲームの人か。初主演作ってことだけれども、なんかスゲー納得感があるよね。このしぶとく生きる感じは、役者の強みなんだろうなあ、すげえなあ。

「ヒルビリー」って呼ばれる人たちの話らしいんだけれども、なるほど、現実にこういう集団があるんだなあ。アメリカではなかなかこういう閉鎖的なコミュニティを知らなかったので、新鮮――であると同時に、しかしこの閉塞感はなんとなく日本に住んでいても想像できるところもあって、ある意味で普遍的な話ではあるよなあ、と思った。いやまあしかし、日本じゃあんなにドラッグは身近じゃないし、あとあそこまで暴力を振るったらそのまま組織で殺して隠蔽してそうか。そこら辺はお国の違いではあるかもしんない。

あとまあ、こういうプリミティブな集団においては、男女の区別っていうのが堂しようもなくついて回ってしまうんだろうなあ、とは思った。全体的に暴力的ではあるけれども、その中で女性同士の連帯みたいなのが主人公の世界観を下支えしてるよね。腕の回収もそういう意味では大変心に刺さるんだけれども、しかしボートの上で急にチェンソー持ち出すのには笑ってしまった。それまでボートで気づかなかったのはさすがにちょっと変だよね。

ザ・ボーイズ シーズン1

 

見なきゃ見なきゃと思ってたんだけれども、見始めたらもう一気にシーズンまるっと見てしまって我ながらビックリした。基本ドラマを見るの苦手な方なんだけれどもなあ。

アンチ・スーパーヒーローものみたいな噂は聞いていたし、実際そういう話ではあるのだけれども、それよりもストーリーの軸足が組織の力関係に向いていたのが大変面白かった。特に、単に上下関係ではなくて、性的な関わりを含めた男女間の力関係が物語のキーポイントになっているのが、なるほどって感じ。保守的なキャラクターが「ME TOO」的な告発を行うのなんか、まさに現代的でございますわね。

ただ、男女の関係による行動要求が、全て否定的なわけではなくて、むしろ愛情・共感をベースにしたお願いとして描かれているのがまた面白い所だよね。組織の様々なレベルで、男女の関係があって、その男女の人間関係の複雑な機微が並列してストーリーを起動している――というのは、いやはや大変感心させられるシナリオになっていると思います。っていうか、男女関係のセリフの鋭さが本当にすごいよなあ。セリフの端々で感心させられてしまう。

あとそれにしても、「ディープ」のエピソードの浮きっぷりが謎。普通一番しっぺ返しを喰らって死んでもしょーもないようなキャラクターなのに、むしろ有害な男性性の被害者みたいな描かれ方になっているのは、面白いなあと思いました。異常なセックスとか、体毛剃りとか、いや、謎の愛され方ですよね。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

 

読んでる途中は「え?」「は?」「なんで?」と思ったけれども、中盤くらいの「じゃあ具体的にどういう仕組みになるの?」のあたりの記述はわからんでもないし、最後の宇野先生との対談でその違和感みたいなのが遠巻きに表明されてたし、また文庫版のあとがきでそこら辺の失敗も著者が認めているので、なんかこう色々言いたいことが引っ込んでいく読書体験ではあった。まー最初に極論をぶち上げるのはテクニックとしてわかるしなあ……

あとまあトランプ以後の世界でこの本を見るのはやはり隔世の感があるのはしょうがないよなあ、とは思う。この本では小さな政府とテクノロジーの市場原理が政治を支配するようになるだろう、みたいな話になっているけれども、じゃあそこで人権はどのようにして守られるの? というのは大変疑問だし、現在そこが世の中で大きな問題になっているようには思えるよなー。そこではプラットフォーマーによる検閲的な動きが問題になると思うし、そこに対して干渉できるのは市場ではなくて国家のほうが目がありそうだし、すると国家はそのあたりにきちんと影響力を与えられる存在でないといけないわけだしなあ。で、そこら辺の認識は、多分ニコニコなどの国内のプラットフォームでは結構弱い所だと思うので、ニコ生とかで活躍している人がこういうアングルで国家を語ろうとするのはある意味納得感があるのだった。

 

まーしかし、対談の宇野重規先生の安心感たるやハンパないな……この人の本をもっと読もう。

イントゥ・ザ・ディープ: 殺人発明家の深層

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うーん、そんなに面白くなかったんだれど、これは自分が見ているときの姿勢が悪かったのかな……取材対象の発明家が実はサイコパスで、取材者が自分の命を狙われていて、大量の取材テープも残っていて――という状況は、どう考えてもストーリーとして面白くならざるを得ないと思うんだけれども、どうも散漫な印象になるのは何でだろう。

いやまあ、たぶんその当事者性こそがこのドキュメンタリーをわかりづらくさせているのかもしれないなあ、とは思うけれども。途中で証言を決意する所の取材者の表情は、未だにきちんと事件との距離を確立できているようには見えなかったしなあ。そしてそういった当事者がいる以上、それを安易なストーリーとして描くことは、決して良い行いではないからなあ。冒頭は大変プライベートなフィルムでは島っているけれども、ドキュメンタリー全体を通して、なにをどう描けばいいかというその切り口に、迷っているような印象は、どうしても感じられるのだった。

いやまあそれにしても、ひどい事件だよなあ。取材も入っている事業のまっただ中で、取材者を誘って残虐行為でバラバラにして海中に捨てるとか、意味がわからない……明らかにバレるような行動を取るその心の動きさえ「サイコパス」みたいな言葉に押し込めてしまうのはどうなの? とはは正直思った。