ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

バービー

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なんか今まで観てきた映画のおかげで文脈が超わかるようになってて、そういう目配せが最高に「気持ちいい」映画にはなってるよなあ。特に先日『ストーリー・オブ・マイライフ』観たばかりなので、そのテーマが再び取り上げられているのは大変面白かった。ウィル・フェレルが社長としてバービーに「商品に戻ること」を強要するシーンとか、まあ完璧にあの映画のラストの再演だよね。そしてまた、映画のストーリーが単純にその「資本主義社会の否定」の方向に行かないのも、まあなんつーか真摯な問題への向き合い方だよなーと思う。

しかしこの映画、ルッキズムに支配されたバービーがセルライトをテコに外に出たときに、外世界で初めて「老い」に対面して、そこで美しさのやり取りをしてる時点で、あーはいそうですよね結局はそういう自己肯定を巡る話ですよね、というところで大満足してしまうよなあ。その後のバービーの落ち込みとか、ストーリーとして必要なのは分かるけど、まあ基本的にはもうクリアできるはずの問題になっているよねー、と。

だからむしろこの映画で面白いのはケンの物語の方、というのはちょっと言いすぎかしら? しかしまあオレが男だからかもしれないけれども、自分と向き合うことでアイデンティティを見つけるバービーよりも、異性をトロフィーにすることでしか自分を定義できないケンのほうに同情してしまうのはしょうがないよなあ。彼の恋愛感情は確かに尊重するべきものだし、持て余したその感情を自分の中で上手く扱えず、それが他責となり加害となってしまったとき、それをどのように扱うかというのはやっぱり重要なテーマだと思うのよなあ。行為はきちんと窘めるべきなのは分かるが、しかしその感情を持ってしまったことそのものを責めるのは、ちょっとマズいんじゃないかと思う。個人的には、そのケンの恋愛感情をダシにして、他者を操ろうとするバービー側の行動は、許しがたく感じたよ。

ただまあ、そういうケン側の物語は、バービー側からすると知ったこっちゃないというか、そこまでのケアを求めるなんてふざけんな、という意見もまさに仰るとおり、とは思うのよな。必要なのは、ケンを救済する物語で、それはバービーとはまた別の作品によって語られるべきだし、そういう物語は例えば『ザ・ボーイズ』みたいな作品でちゃんとテーマになろうとしているところよね。