あーなるほどなー。スタローンはこういうマッチョイズムのアイコンだったんだな……正直こういうマッチョイズムは嫌いなんだけれども、企画のターゲットがこれ以上ないくらい明瞭なので、作品としてはだいぶ感心してしまうのだった。別れるきっかけなんかを明確に描かなかったり、妻との再開に間に合わないようにしたり、結構技術的には上手いこと言い逃れしている作品ではあると思う。子どもをあんな酒場にすぐに連れて行ったり、トラックで家に突っ込んだり、まー普通に考えてやべー父親だし、別れて当然なんだけれども、そこら辺のヤバさをマッチョイズムでコーティングして、ダメなところを巧みに隠している感じ。いや、本当に巧みなのか?
っていうか、トラックを新しく手に入れたところで何の問題も解決していないよね……子どもが主体的に父親を選ぶことが問題解決に繋がっているこのストーリーは、倫理的に考えると結構ヤバい。お爺ちゃんも飲まれて感動してる場合じゃないでしょ。なんつーか、負けることで自分の存在を証明した「ロッキー」ってのは、本当に偉大な作品だったんだなーと思いました。