ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

絵文字の国のジーン

 

絵文字の国のジーン [Blu-ray]

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だいぶひどい評判を聞いていたからドキドキしながら見始めたけど、あれ? そんな最悪っていうほどじゃなくね? ユア・ストーリーもそうだけど、最近ちょっと最悪の定義が軽すぎませんか? もうちょっとさ、『deep love アユの物語』みたいなのもってこいよ!

なんといっても設定が悪いのはわかりきったことで、頭も大して良くないんだからそんな『インサイド・ヘッド』みたいな二面作戦はやめなさいよー。外と内でドラマが並列して走ることで生まれるカタルシスとか全然考えてない脚本で、まーふつーにラストとか噴飯するよね。なんとなくそういうことがしたいのはわかるけど。突然のプリンセスのポリコレ感とか、雰囲気で脚本を作っているのが丸わかりで本当に頭が悪いです。悪い意味で。

でもまあちゃんとそれぞれ絵文字の役割に合わせたギャグとかアイディアとかは詰まっていて、カメラワークやらCGやらデザインやらの出来もだいぶちゃんとしており、そういうストーリーを考えない映画としてはまあまあちゃんとしていて、それを味わえばいいんじゃないですかね。そういう見せかけだけの上等さを「子供向け」とかいっちゃう神経は嫌いですが、まあしかし子供向けといいたくなる気持ちはわかる。嫌いだけど。

 

あとこのストーリー、穿った見方をすると結構面白いところもあって、一番感情移入できるドラマが作ってあるはずの「フーン」両親特に妻が、しかし「フーン」の顔しかしていないのがどれだけ不利に働いているかがわかるんだよねえ。声とか動作とかでは大変悲しい芝居をしているはずなのに、見かけの表情がズレているだけで大きく感情移入が阻害される。まあそれは表情の話だけど、キャラクター性ってある種の記号であるわけで、それって逆に「記号に囚われない物語を語ることの困難さ」を語ってもいるんだよねえ。

ウサギはウサギのアイコンとしての役割を求められるし、オオカミはオオカミとしての役割を求められてしまうのは、記号の宿命なんだよね。プリンセスはプリンセスとして登場する以上、プリンセスとしての振る舞いを期待されてしまう。そこにはプリンセスとしての振る舞いに囚われるな、というアンチプリンセスの期待も含まれるわけで。記号って当然のことながら固定した役割から逃れられないんだよねえ……。

だから、ラストシーンで「どんな表情も出来る」と擁護されるジーンの記号としての無意味さに、我々は噴飯してしまうわけで。いやー、もうちょっと頭良くストーリー作れなかったのかなー。『ズートピア』までやれとは言わないけどさー。