今「モラハラ」みたいな言葉がわりとカジュアルに使われてる印象だけれども、この本が書かれている段階では、そういう言葉って多分一般的じゃなかったんだろうな、と思う。愛という建て前を元に他者を縛ったりすることが、言語によって対象化されて人間関係を考える基本的なツールになっていることは、ジェンダーの問題を考える上でも、やはり大きな進歩だろうな、と思う。
そんな感じで、今見るとここら辺で書かれていることは大袈裟だったり、ラディカルに聞こえたりするけれども、しかしそれは今ジェンダーの問題がごく当たり前に顕在化して取り上げられているからなのだろうな、とは思う。もちろん問題が問題として取り上げられるようになったからといって、解決にはほど遠いし、当然バックラッシュもあるわけだけれども、この本のある部分が古びているように感じているのは、悪いことではないだろうな、と。
ただこの本の魅力は、そういう社会との関わりの中で古びた部分ではなく、むしろ筆者自身が自分の人生に向き合って、自分の言葉で、自分という存在を見つめ直してきた、その言葉の明晰さにあると思う。母親との関係の中でどのような行きづらさを抱えてきたのかとか、その行きづらさを言語化して消化するためにどのような苦労をしたのかとか、そういう自分との向き合い方が、これだけ赤裸裸に、正直に、自分の言葉で語られているのは、本当に感動的だよなあ。自分は一体、どれだけきちんと弱さや醜さもひっくるめて、自分に向き合えているだろうか? ってなことを、延々考えさせられました。いやー、すごい本ですわ。