ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ローマンという名の男 -信念の行方-

 

んー? なんだろうなーこれ。見ていてずーっと「事実に基づいた話であって欲しい」という感覚があったんだよなー変な話だけど。

いやそのこのローマンって男って結局記憶力特化でコミュニケーションに難があって、というある種の類型のあるキャラクターとして描かれているわけじゃないですか。そういう人物が、現実にいて、それでこういうドラマを辿ったなら、それはもうしゃーないよね、事実だからね、とは思うんですよ。でも、これ、そういう記述ないじゃないですか。だからある種のこういうコミュニケーションになんを抱えた男のステレオタイプを利用して描いちゃってて、それはある種の偏見の強化に思えてしまうわけですよ。自分も多分あんまりコミュニケーションが得意じゃないから。だからね、それを、こういう人権問題をテーマに扱った作品の中心に据えられると、ちょっと辛いなーと言う感情を抱いてしまう。

いや、別に面白いと思うんですよ。デンゼル・ワシントンの芝居もあって、ああうんこういう踏み外し方をしてしまうのもしょうがないよね、わかるわかる、とギリギリオッケーなラインになってるとは思うんですよ。それはなかなかすごいことだと思う。掛け値なしに思う。

でも、でもね、でもそういう人間が、映画の都合で道を踏み外して、その結果勧善懲悪の結末を迎えるのって、こう、しんどいなーとも感じるんですよ。生きづらさを抱えた人間が、ちょっと道を踏み外したら、こういう結末に行き着くのかと。その物語展開としての正しさを、コミュニケーション弱者の人生にフォーカスして語って、いったいなんの意味があんのかなーと。まあ、ここら辺はあれだ、『鑑定士と顔のない依頼人』でも感じたヤツですけどね。