ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉

 

うーん……オレはもうちょっとちゃんとアイドルにずぶずぶはまったほうがいいのかもしれん……

そもそも社会の抑圧と自己実現の物語が好きというのはあるのだが、ジェンダーという視点を当てたときに、アイドルという装置自体がそのアンビバレンツな両者を利用して物語を駆動させるものだ、という視点を得て大変に感激した。っていうか評論をちょっと読むだけでボロボロ泣き出すとか絶対おかしい。こんなんアイドルを追いかけたらどうなってしまうんだ。どうなるんだ。

特に前半の論考が良くて、自分がVTuberなんかに感じていた問題点が、そのままアイドルという枠組みで提示されていて感激した。そもそも女性視点でアイドルがどのように捉えられているかというジェンダーのギャップみたいなのが根っこにあるので、新しい視点を得られたことそのもの自体が喜びに満ちていた、みたいな所もある。韓国アイドルの話とかはまさにそれで、圧巻の読み解きであった。

あとはゲイによって構成されたアイドルから、異性愛の禁忌に対する考察に入っていくのも大変面白かった。女性同士のカップルは概ね祝福される、みたいなところの歪さと、そこに向けられる問題意識はマジでたまんねーなーと思う。やっぱり「百合営業」みたいな概念は、どう考えても「百合」という女性の自己実現のための単語を消費される文脈に引っ張ってきていて、肌に合わんなあと思いました。

あと「推し」でちらっと「キャラクターに対する推し」という感情について触れられていたけれども、最近ネットで見る「初音ミクと結婚した人」についてのモヤモヤがかなり増えたなあ。確かに「推し」を新たな人間の関係性の形として捉えることも可能かも知れないけれども、「結婚」という他者性を根底とする制度にそれを安易に当てはめることは、やっぱり違和感がでけーよなー。同性婚のために苦闘している人々が見えるからこそ、さらにビミョーな気持ちになってしまうぜ……