イーストウッドって異常な犯罪者ばかり捕まえてる感じがするな。ダーティ・ハリーもまあ似たようなところはあるけれども、やっぱりアレはイーストウッド側、刑事のインパクトが強かったんだろうな。犬好きのシングルファーザーというのも理屈としてはわかるんだけれども、世の中がもっと過激なヒーローを求めてたってことか。
いやしかしこの映画、被害者の女性が娼婦ばかりという点に加えて、女性が男性に対していかに抵抗するかみたいな所も結構丁寧にやっているし、イーストウッドの興味が昔から男女の性差みたいなところにあったのも思い知らされる感じである。マッチョはマッチョなんだけど、そのマッチョ性とずーっと向き合ってきた、みたいな所はあるんだろうなあ。で、だからこそ自分の老いをテーマにした映画をずっととり続けてこられたのかもしれんなあ。
なかなか相手の顔を見せないという工夫があるけれども、その工夫が生きてるかどうかはちょっと微妙かしら。守るべき家族がいるという状況からしても、生きる仕掛けには思うんだけれどもなあ。それよりむしろ、執拗に繰り返される脚の描写の方が印象に残る演出ではあった。というかなんであんなに足にこだわったのかしら。並列して、靴で犯人を見つけるドラマを見ていたので、なんだか混乱してしまったのだった。