ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル

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老いたインディアナ・ジョーンズを連れてきて、時間を操ることができるギミックを入れたら、そりゃまあこういう話になりますよね、というのをまあちゃんとやってるよなーと思いました。

っていうか、ストーリーだけ見るとかなり空洞感があるというか、「なぜ運命のダイヤルを追いかけなければならないのか」という動機が無理矢理だよねえ。ハリソン・フォードが親友との約束を守るためだったら、あのダイヤルをどっかのタイミングで破壊すればそれで済んだわけでしょ? それを破壊せずにとっておいたのは考古学へ対する偏愛が理由と見るべきだろうし、それが些末な動機とかアクションのリアリティとか設定の整合性とか、そういうのをはるか置き去りにして、彼に「インディ・ジョーンズ」式の見慣れたアクションを強要させちゃうわけだ。

でまあ、時間を操るギミックと合わさって、その空虚な「インディっぽさ」が行き着く先が、現実からの逃避ってのは、なるほど確かに理にかなってるよね。例えば岩登りシーンの急な「オレ何してんだろ?」の独白は、ストーリー上かなりの異物で、だからこそ謎の説得力がある。

この映画全体が、彼の空っぽの内面を表現していた、ともいえなくはないのだろうけれども、あー、そういやコレまでの話で、インディアナ・ジョーンズの内面を描いたストーリーってあったっけ? エンタメの印象が強すぎて、こういう内面の弱さに向き合った展開がどれだけあったか……

まーしかし、そういう観点からいうと、ラストの解決はイージーというか、超力技だよね。それができるなら最初から時間を操るギミックなんて要らねーじゃん! 動機付けで息子の死とか入れんなや! とかはちょっとだけ思いました。