ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

教養としての歴史問題

 

教養としての歴史問題

教養としての歴史問題

 

うおおおおおお……一番期待していた「歴史に「物語」はなぜ必要か」という章が全然期待してた感じに届いてなくて最高にガッカリした……もうちょっとアカデミズムが社会の中でどんな役割を果たすのか踏み込んで回答してくれよ……

実証研究が大事なのは確かにわかるけれども、それって「わたしは職人ですから、作られた武器がどこでどのように作られているかわかりません」と同じ態度でしょ? アインシュタインだって平和運動したでしょうが。いやこの場合はプロ格闘家が街で暴力沙汰を見かけたらどうする? みたいな感じか。暴力を止めに入る義理はないし、リングで培った技術を現実にまんま適応するのは確かに問題も出るけれども、しかしあなたはひとりの人間として社会に害する行為を目の前にして、それに抵抗する能力も持っているのに、果たしてそれをスルーするんですか? という。そういった、ひとりの人間としての倫理の問題であるのに、アカデミズムがあーだこーだいって自分を正当化するのは、それこそ歴史から学べる物ってなかったんですか? という感じがしてしまう。

物語を語ることに危機感を抱くのは、これまでの流れからもわからんではないけれども、いくら実証研究したところで、それを認知するとき人間は大小の差はあれど単なる数字やら証拠やらに因果関係を見出すわけで、それはある種の物語でしょう。人間は物語から逃れられないよ。そして今日、これから未来を決める政治の指針にするために、「私たちはどこから来たのか」という因というモデルは絶対に必要とされるし、そこに対して歴史の専門家が何らかの回答を用意できないとするならば、好き勝手に自分がここにいる理由を捏造されても仕方ないでしょう。それはアカデミズムがどうあるべきかというよりも、アカデミズムに携わる人間が、社会の構成員として、他者とどのように関わりを築くべきかという倫理的で政治的な問題であってさー。もう章の最初から「物語」に触れることそのものの危機感が強すぎて……いやいやそうじゃなくて物語に積極的に向き合うことで、物語を適切に扱うようにしていかなきゃならないところでしょ、と。

本自体は大変面白く、特に世界の植民地支配の責任の取り方なんかは大変ためになった。あれだけ歴史的な出来事に向き合っていると感じられたドイツなんかにも結構辛辣な批判がされていてビックリであり、そこら辺をしれただけでも読んだ甲斐があったと思います。