ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

チ。―地球の運動について―

 

めちゃくちゃ面白かった&考えさせられたんでちゃんと感想書こうかなーと思ったけど、

adenoi-today.hatenablog.com

これ読めばオッケーな記事じゃん!

いや、オレにはここまで歴史の内容しっかり抑えてなくて、マンガ読みながら「はいはい惑星ね」「あーケプラーか」「イスラムの知識そこまで入ってんの?」とかいうレベルだったんで、考証の内容については大変勉強させてもらうしかなかったんだけれども、この記事の本論である「科学vs宗教」の見立ての危うさってのはもーまさにおっしゃるとおりで、本を読みながらイライラしちゃってさあ……

まー反証可能性まで持ち出してるけどここで書かれてるのは「現代の私たちから視て正しい歴史への道のり」で、観察による科学が我々の理性にとって正義なのはもう基本的に曲がらないわけじゃないですか。「学校で進化論を教えられないアメリカ(笑)」みたいなのが散々ネタになったりするわけじゃないですか。エビデンスバンザイなワケじゃないですか。

でもですよ、まあこの上の記事でも触れられてますけど、科学ってそんなに簡単に真理に辿り着けないもんだと思うんですよ。反証したって補助仮説はバンバン出るし、観測者のバイアスによって数字は簡単に曲げられるし、最新の科学的成果として優生学が生まれるし、ニュートンは人間くさくライバルを蹴落とすし……ケプラーじゃないけれども、「直感」を信じる心と、しかしそれが「誤っているだろう」という疑念の中で常にさまよい続けるのが、自分の想像する科学なんだけどなあ……。

このマンガ、「わかりやすくするために要素を単純化している」けれども、その「わかりやすさ」こそが科学が苦闘しなければならない敵だと思うんですよね。そのわかりやすさという物語の魔力に科学を落とし込んでしまうのって、科学の思想に反してませんか? 科学という真理が蒙昧な人々に光を当てる、だが真理は社会に理解されないため抑圧されるのだ、だが歴史という流れの中でその真理のために命を捨てることこそが尊い、みたいな価値観を、「わかりやすく」書いてしまうことは大変危ういと思いますよ、本当に。

この作品においてそのわかりやすさによって割を食ったのが「宗教」なワケですが、この題材を持ち出すなら、むしろ「当時の人間にとって宗教を信じることというのはどれだけ生活と不可分で、それ以外の可能性を考えられなかったのか」みたいな、宗教側の視点を共感を持って描かなければならなかったと思います。我々の持っている価値観が当時の生きている人間にとっていかに獲得しづらかったものであるかの共感なしに、「自由」という概念だとか、「活版印刷」の革新性だとか、「女性の自立」のテーマだとか、そういうものを「善・正解」として描くのは、あまり良い物語の手つきには思えませんでした。

いやまあ、だからこそこういう「面白い」作品になったんだとは思うんですけどね…