ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった2人

 

うーんこれはイライラする。すごくイライラする。

なんでこんなにイライラするのかをずっと考えているのだけれども、まずはこの映画の視点というか、演出者の立ち位置が全く納得いかないのだろうなあと思う。これって隠し撮りのウォール街乗り込みパート以外は、きっちりカメラをいろんなところに据えて、構図をバッチリ決めてとられていて、それが本当に気に食わない。「ドキュメンタリーでちょっと普通とは違うふたり老婆を追いかけますよ」みたいな立て付けなのに、かなりの勢いで創り手側の演出意図が強く入っているのが全く気に食わない。

くわえて言うなら、シャーリーとヒンダが阻害されるべくして阻害されているところを描いているのは本当に気に食わない。今回は映画という媒体がふたりのバックアップに着いているのだから、然るべき手段で場を設けることはできなかったのだろうか。これでは「社会が私の声を聞いてくれないと喚く困った人たち」を描いているだ。相手の都合を考えず自分の問ばかりを投げかける態度の人を描くことに、なんのメリットがあるのか正直自分には全くわからない。事実起こったからしょうがないことではあるとはいえ、映画の盛り上がりでしょうもないひとりの心ない警備員にヘイトが向けられてしまうつくりなのも、いやそういう映画じゃないでしょこの映画の言うべきことは! という感じ。

あと穿った見方をすると、90前後のおばあちゃんふたりがウォール街に向かったふたりが車で移動できて……というのは明らかに経済成長があったからではあり、その利益を享受したふたりが若者に経済成長を諦めろと迫るラストはある種グロテスクでもある。

 

しかし、しかしなあ……途中でふと私「このふたりの関係ってなに?」とか疑問に思ってしまったんですよ。もしかしてこのドキュメンタリーって、世界に阻害されながらもお互いに支え合って自分たちの信念を守り続けようとするふたりの老婆の話? という。そうやって見るとですね、この演出方針も正しいんではなかろーかと思えてくるわけです。っていうかもうそうとしか見えない。