ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ザ・ボーイズ シーズン3

 

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  • ジャンカルロ・エスポジート
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あー、シーズン3まで観てやっとわかったんだけれども(遅い)、これは有害な男性性がセルフネグレクトみたいな概念と結びついてる話なんだな。特にシーズン3で顕著なんだけれども、「ザ・ボーイズ」組の人間の行動は過去のトラウマに深く結びついていて、しかしそれは原因を秘されたままストーリーが進行していく。対する女性陣は、スターライトの第一シーズンに顕著なように、物語内で自分の尊厳を踏み躙られる行為があるけれども、それが物語内で比較的短期的に解消される(ミートゥー)。それはつまり、女性キャラクターは「己は何者か」という問題に向き合っていて、自分のケアをしているってことなんだな。

ただし難しいのが、そのケアのなさから生み出される分裂こそがストーリーにダイナミズムを生み出すという点で、このシリーズの話の骨子は「ホームランダー」「ブッチャー」が自分の弱さに向き合わないからこそ、魅力的になっていくんだな。シーズン3でブッチャーがとうとう過去のトラウマと向き合わされたことや、ホームランダーが鏡に映った自分の弱さに向き合えなかったという対比は大変示唆的。

さらに話を進めれば、その「自分への向きあえなさ」の解消手段として、自分のコピーたる「息子」とのコミュニケーションが要請されるストーリーにもなっていて、なるほどだからこのシリーズが『ザ・ボーイズ』ってタイトルなんだなあ、と今更ながらに深く納得したのだった。そういう意味で、ヒューイが「カナリア」という比喩は、ちょっとミスリードではあったよねえ。彼はカナリアどころか、ブッチャーのトラウマの原因と同一視される存在ですらあるんだから……