ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く

 

言うまでもなくここの文章は批評なんておこがましいもので、雑な感想しか置いていないと自認しているわけだけれども、自分としてもちょっと批評的な観点で作品の感想を言わなければならない機会はあるので、一度本職の人の頭の中を覗いてみたいなーと思っていたのだった。

でまあ読んでみたわけだけれども、一方的に共感してしまう。もちろんバックグラウンドの知識の量やら、周辺の資料にあたる姿勢の違いやらは、自分とは全く異なるワケだけれども。筆者もTwitterなんかで見る限り、社会とのコミュニケーションにある種の困難を抱えているのがチラチラ見えるように感じていて、そういう自分を引き受けつつも、世の中と適度な距離を取っていくには、やっぱりこういう自分なりのルールを打ち立てていく必要があるよなあ、と自分の生活を鑑みながら思う。批評みたいな、他者との意見の相違があることがポジティブ、というか必須な行為においては、そういうある種の切り分けみたいな感覚がどうしても必要になるよね、とは思う。

それにしても、自分で観ていて全然よくわからなかった『あの夜、マイアミで』について、「前提知識が難しいよね」みたいな話をされていたのが大変面白かった。あれだけたくさん映画に触れて、英語もバリバリ読める人でも、文化の文脈を読み取るのは大変なわけだよなー。いや、だからといってもちろん、そこを学ぶ努力を放棄していい、ってワケじゃないでしょうけれども。