ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

NEEDY GIRL OVERDOSE

whysoserious.jp

『ミッドナイト・ゴスペル』を観た直後だっただけに、結構ショックを受けている。

いやまあとにかく「良い感じ」ではあるんだけれども、その「良い感じ」の向こう側に見えた結末がこういうものだと、うーんいかにも今の日本のオタク界隈……という感じで結構厳しいなあ。

『ミッドナイト・ゴスペル』も、インターネット・テクノロジーとドラッグをテーマにした話だけれども、それらがスピリチュアルで自己探求のために利用されてるよね。他者にインタビューという形で関わることによって、己と社会の接点を探す物語になっている。サイケデリックなドラッグは、その橋渡しとして使われているわけだよね。

一方この作品は、同じ題材を扱っていながらも方向性が全く逆で、インターネットによって自己は拡散するし、ドラッグによって他者との接点は閉ざされる。主人公が女性として他者に消費されることで自己承認を得るという構造自体に、疑問を投げかけるような話にはなっていない。

その背景には、アメリカでのインターネットの発展がヒッピー文化の延長線上にあるという文脈もあるのだろうけど、それにしたって絶望的な気持ちにさせられるなあ。いやまあ、その絶望こそがこのヒロインの抱いている世界観そのものなワケで、それがこのような形でパッケージングされて消費されること自体は、確かに創作物としては正しい表現にはなっているのだろうけど……しかしなあ……うーん……