ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

トップガン マーヴェリック

topgunmovie.jp

あ、なるほど。この映画は良くできていますね。「トム・クルーズが」「これだけ時間が経って続編を作る」という作品の立て付け自体に、作品全体のテーマが凝縮されているのが大変素晴らしいです。

というのも、トム・クルーズはもう60も近いわけで、おっさんがどうやっておじいちゃんにシフトチェンジしていくのか、というのはスターにとって大変重要なテーマなわけです。トム・クルーズは相変わらず全力疾走しているけれども、クリント・イーストウッドは「シークレットサービス」で老いぼれのジョギングをユーモラスに描いたぞ、と。いつまでも全力疾走はできないぞ、どうするんだ? と。

でまあ、この作品は全編を通して「歳を取ったトム・クルーズの現実との折り合いの付け方」についての作品でもあるわけです。着てるジャケットも乗ってるkawasakiももうボロボロだし、生涯現役でやりたいのに引退間近で先生の役割を押しつけられるし、元恋人とよりを戻そうとすると連れ子がいるし……

だってさあ、トム・クルーズは若いつもりで恋人とベッドシーンを演じるんだけれども、その後子供が帰ってきて慌てて窓から(還暦間近のおっさんが!)逃げ出すわけですよ。で、地面にストーンと転んで子供と目が合う。以前だったら「ハハハ、トム・クルーズったら仕方ないなあ」で済ませるシーンに、子供がズドンと「お母さんを悲しませないでね」と刺してくるわけですよ。これはどう考えても、いまだに夢のモテ男を演じなければならないトム・クルーズに対する批判で、やっぱり映画全体にそういう緊張が漲ってるわけですよ。

で、意地の悪いのは、次回のミッションがインポッシブルなこと。どっかのゲームみたいな「いやいやそこまでして攻撃する必要ある?」「著しく合理性を欠いてないこの作戦?」みたいなリアリティゆるゆるの難易度クソ高作戦が提示されるんだけれども、トム・クルーズはそんな死地に送り出す教官側の立場なワケ。お客さんからすれば、「こんなミッション・インポッシブルをクリアできるのはトムだけじゃん!」って思うんだけれども、リアリズムの象徴である軍がトムに「お前は年寄りなんだから教官として振る舞いなさい」「ミッション・インポッシブルを後進に譲りなさい」「我々は軍だから犠牲を厭ってはいけません」とゴリゴリリアリズムを突きつけてくるんだよね。あんなに作戦自体はゆるゆるリアリティなのに。

ところがまあ、そこで前作で準ヒロインだったアイスマンが燦然と道を指ししめすわけだ。理性の権化・リアリズムの象徴として軍のトップにいる彼が、「軍隊にトム・クルーズが必要だ」と彼を庇護し、激推しするわけ。彼が発する、死者を出すような作戦を「これがリアルだから」といって受け入れてはいけない、我々はトム・クルーズのように不可能を可能にすることを希求しなければいけない、というメッセージは、まさに映画を見ていた視聴者の願望とシンクロする。で、終盤の展開を見れば、その願いはもちろん機能するわけだけれども、もうひとつ上のレイヤーで言うと、老いに直面したハリウッドスター、トム・クルーズに対して我々が抱いている、アンビバレンツな感情でもあるんだよね。

作品としてそこまでのめり込めたわけではないんだけれども、そこら辺のメタな構造を含めて見てしまうので、どう考えても傑作だなあ、とは思うのでした。