ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

シュガー・ラッシュ

 

うーん、『フリー・ガイ』も層だけど、ディズニーのメタ物は本当に合わないな。『バービー』とか『レゴ・ザ・ムービー』とかメタ物である意味をちゃんと突き詰めればきちんとそこにはテーマが生まれるんだけれども、この映画はそこら辺に納得感のある答えがないというか……

大体この映画、一番根っこにあるのは「悪役が悪役として振る舞わざるを得ない」という差別的な構造であって、それってオレが以前『ズートピア』で書いていた物語がもつ不可避的な性質なんだよね。それを軸にストーリーを展開にするなら、キャラクターに主体性・ある種の人権を持たせて、「キャラクターをコンテンツとして消費すること」を拒絶するストーリーにしなければならないはず。なのにこの映画は、キャラクターの行く先を「物語の役割を演じきること」に回収してしまうんだよね。それってお行儀が良すぎ……るというかむしろ、今の主体性が尊重される時代の子ども向けの映画の結論としては、むしろ逆行してません? ゲームの運命に殉じることを拒否して、「ターボ」してまで自分の希望・あるべき姿を追求した悪役は追放されて、不条理なやり方で追放されていた姫が元の地位を取り戻す……いやー、ないんじゃないですかね。ってかなんでそこまでゲームの中のキャラクターの役割が強固なのに、結ばれない悲劇の運命を背負ったヒロインが、結婚なんてイベントをこなせてるの? やっぱガワだけに注力してて、ちょっと物語の役割に対する考察が浅いんじゃない? メタを扱う話でそれは納得いかんよ。