ホント韓国映画は冴えない中年のおっさんをメインに据えるのが好きねぇ、とか思ってたら國村隼まで持ってきてあーそう来ましたかという感じ。イケメン皆無でよくやるぜ。
オカルティックで結末が宙に浮くような作品だけれども、日本人とかキリスト教のパーツをからめてこれをやるのはおーなるほどという感じ。怪しい異邦人として日本人を描く韓国映画って、まあ明らかに歴史的文脈を裏に敷いた見方が強要されちゃうわけで、そのキャラクターを善の側におくか悪の側に置くかってのはメタな意味で興味深い、というかポリこれやらなんやら絡めてそういう見方しちゃうもんなのよね。で、それがそのままこの映画が語るストーリーと絡まって、説得力を増してる感じ。韓国文化におけるキリスト教の立ち位置なんかを知っていれば、もっととっかかりがあったのかしらねえ。蛾のあたりとか絶対後ろになんか敷いてあるはずなのに全然わからないのであった。
でもなあ、映像的にはいかにもそうとしか思えない編集をしておいて、しかしそれを揺さぶるやり方が、なんか知らんけどすげえアンフェアに感じられるんだけどなんなんでしょう。フェアとかフェアじゃないとかそういう問題なのはわかってるけどさあ。突然の女性キャラをポンと投げ込まれたところで、編集にあまりにも強い作意を感じて、作品とちょっと距離ができてしまったんだよなー。
あとまあ、これって怖い話なんでありましょうか。韓国文化で育つとワケのわからん日本人が山奥で住んでたりするとゾッとするのかしらねえ。まあ日本でも一部地方の農村が外国人嫁迎えまくって別の国の文化で上塗りされてたりするみたいだから、そういう地続き感から考えると怖いのかも。