ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

カメラを止めるな!

kametome.net

「いいからさっさともっと面白いものを見せてくれよ」が7割くらい続く辛い映画であった。世の中の反応を見ていたからもあるけれども、まさかこんなに期待値を下回られるとは夢にも思わなかったぜ。

最初のクソ眠たいカメラの振り方から監督出てきて質が変わって、うーんこれは嫌な予感がするぞと思うわけですよ。どうやらこの作品は長回しをするようだ、しかし待てよ長回しと言ってもヒッチコック『ロープ』のような「カメラの存在を極力隠す撮り方」と、いわゆるPOVな「カメラが実際にあることを前提とした撮り方」で全然意味が違ってくるぞ、と。もしも前者の撮り方でやろうとするならあまりにもカメラマンの存在を意識させすぎる撮り方になっていて単純に下手くそで、うーんそうじゃないと良いなー意図していてくれよーと思ったら序盤で早々右上に水滴がついて、あーこれはカメラマンの存在を示唆するためにわざと入れたのね、カメラマンは存在するワケね、とちょっとだけホッとするわけです。

でもその一方で、もしこの登場人物のアクションのリアリティでPOVであるならば、どう考えたって作中作であるわけで、あーそれってつまり序盤のゾンビの茶番はマジでどうでも良い茶番ね、あーあーRECラストなカメラまでやっちゃって、そのズームはデジタルじゃないっすか? あークレーンももっと普通にやりゃ良いじゃんそこまでしてカメラマンの存在を意識させたいの? とかいちいちゲンナリしてしまうのです。ってかこの長回しを「やってみたかった」以外にどうやって説明つけて、このクソ意図が鼻につく茶番に対してどう感情的に納得のいくオチをつけるの? いいからさっさとこの先の展開を見せてくれよ、と。

で、そんな私の愚にもつかない心配を、あの女社長の思いつきからコメディで回収するというアイディアが、とにもかくにも素晴らしいワケです。作中作の茶番という大変扱いづらい題材と、いちいち鼻についた長回しの引っかかりが、いっぺんに反転して作品の超強い武器になる。この作品はこのアイディア一点でも大変価値がある事をしていると思います。

 

ががががが、問題なのはこっから先で、「あーここで編集点入れられそうだなー」くらいには集中して長回しを見ていると、その中で不自然に思っていたパートを大体全部憶えているわけです。で、その不自然パートに、そこから先の日常パートが延々伏線設置していくのが丸見えになる。「あーはいはいあのRECカメラで腰痛めて、あーその後これ見よがしにズームするわけね」みたいな感じで。いやまあ伏線を見える格好で敷いていくのは別に良いんですけど、その見え見えの伏線から想像した以上のハプニングが本番で全く起こらない。いちいち生真面目にひとつの種でひとつの実を採取で、伏線回収のたびにえー普通もっとそこ頑張るでしょ? と落胆。それぞれのキャラクターと伏線が絡み合って予想以上のドタバタを生み出してくれないと、単なる答え合わせじゃないですか。

ってかなんなんですかあのラストクレーン。確かに内面的なドラマで言えば写真で肩車アイディア回収は悪くないと思うんですけど、そもそも外面的なアクションとして人間ピラミッドで肩車ってその解決安易すぎません? せめて酔っ払い嘔吐マーライオンと下痢便我慢できない神経質君の下で、主演少年がうおおおおおと役者根性を見せるとか、最低そのくらいの伏線を組み合わせたドタバタからの打ち上げ花火やらなきゃダメじゃないですか? なんであんなキャラを使い捨てにしてるの? ってたぶん時間がないのだと思うけれど。これを120分でそれぞれのキャラクターの彫り込みをちゃんとしたら、『ラヂオの時間』的な傑作コメディになれたと思うんだけどなー。