ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会

 

茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書 (596))

茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書 (596))

 

先日から引き続き、紅茶についてのサムシングを学ぶために茶の本を読む。紅茶と緑茶、今我々が見ると全然違うもののように思える両者だけれども、そもそもは同じ茶をどう加工するかの違いしかない、というのはまあ当然知っている。けれど、まさか文化的にも裏表というか、ここまで密接な関係があるとは思わなかったなあ。

とにかく驚いたのは、日本の「茶」が西欧に対して文化的な影響を与えたということ。千利休ってただのお茶の人がなんで偉人なの? って正直思っていたし、ジャポニズム的なあれやこれやって別にそこまで強調する必要があんの? と不思議だった。けど改めて考えるてみると、お茶一杯を飲むために様々わけのわからん作法をつくってみたり、メチャクチャ高級に取引される茶碗を用意してみたり、挙げ句わざわざ家まで拵えちゃうわけだから、そりゃまあ異常ですよね。でもその異常さに、自分たちと異なる文化の理解できない豊饒さを感じてしまって、それが茶の需要のされ方を決めたなんて、いやー目からウロコが落ちまくりですよ。なるほどなーそういう文脈なのかー。コーヒーにはそこまでの蓄積なかっただろうしなあ。

あと中盤以降厚く触れられている「輸入品としての茶」というのも大変面白い。紅茶が世界で市場を作っていくまで、日本の緑茶が世界でどのように戦ったのか。明治維新産業革命が起こって第二次世界大戦へ、って辺りの日本企業の海外進出って、もう少しちゃんとイメージを掴みたいのよね。「日本の商社は海外で頑張りました!」みたいな話が目に入りがちであるので、普通に海外の販路を開くのに失敗している茶の話は大変興味深かったです。