ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティー

 

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Netflixのドキュメンタリー映画。こういうところにきちんとお金が出ているのは良いな。日本もこういう時事ネタにキャッチアップした映画とかが広まるプラットフォームがあると良いんだけどなあ……

クラウドファンディングもそうだけど、こういう欲望の形をプレゼンして提示していくビジネスの加熱はヤバいよねえ。しかし人間のあり方を変えるわけには行かないし、一度速まった情報流通の速度をスローダウンさせることもできないだろうから、仕組みとか技術とかでトラブルをコントロールしていかなきゃならないのだろうなあ。この映画は原因を主催者に求めて勧善懲悪の図式に落とし込んでいるけれども、組織を作れば普通にこういう嘘をついてでも場を丸く収めようとするタイプの人間は一定数いるので、そういう人がいる前提の社会のデザインが必要なはずだよね。うーん、難しい、というか無理ゲーだよなあ。「PRです」という一文を載せればホントにそれで問題解決なのか、自分には甚だ疑問なのであった。

しかし面白かったのはフェラチオの下りで、えーとなんなんですかね向こうには日本における土下座と同じような常識的振る舞いで、男が男のチンコを舐めるみたいな行動様式があるんですかね。オレの乏しい脳内辞書じゃ『チームアメリカ』しか参考文献がなくて、思わずあの絵面を思い出して爆笑しちゃったよ。いやまあ、人間をそこまで追い詰めちゃダメだよねえ。

ベイブ

 

ベイブ (吹替版)

ベイブ (吹替版)

 

うおーすげーおもしれー。色んなところで名前を見る作品ではあったけれども、なるほど確かに大変魅力的な映画だわ。本をモチーフにしている映画は結構あるけれど、ここまでしっくりくる作品もなかなか記憶にない。いやあ、広角レンズを使って極端なパースをとって、こんなに作品のトーンを作れるんだなあ。ローアングルとアオリが大変記憶に焼き付きますね。

作品としては家畜と人間を家畜視点で描くという、まあ大変扱いづらいテーマだと思うのだけれども、問題をすり替えてきっちり感動に持っていく脚本はさすがだなあ。ご主人が自分を食べようとしているところをダンス一発で乗り切って、作品の感動ポイントを「変わり者と思われても信念を貫く」というところに持っていくのはとても上手いなあと思う。主役のキャラがきちんとそれに説得力を持たせているのもすごく良くて、広角レンズでグイッと顔のアップを続けてきたからこそ成立するんだろうなあアレ。ベタベタだけれども、無音であの息を呑むシーンをやられちゃったら、そりゃあもう見入ってしまうワケですよ。

あと脚本のジョージ・ミラーって、あー、『マッドマックス』の監督ね。最初はビックリしたけれども、考えていれば『ハッピー・フィート』も撮ってたわけで、だいぶ通じるものがある。

THE WAVE/ザ・ウェイブ

 

ドイツの政治的なヤツじゃない方。

山体崩壊で津波が起こるのは知っていたけれども、そうかフィヨルドだと今でもこれが身近な危機として捉えられるわけかあ。地震以外で津波に警戒を払う国があるなんて、全然想像もしていなかったよ。

それにしても我々311のアーカイブがあるわけで、映像としてあまりにもフィクションっぽい津波災害だなあと感じてしまった。山体崩壊後にフィヨルドで起こる津波あとってほんとあんな風になるの? 車のガラスがいきなり割れたときは「えー!?」と思ったけど、引き波にさらわれずに逆さで気がつく都合の良さはかなり萎えてしまうし、あといくら何でもあんな危機一髪の地下救出劇はリアリティのコントロールが失敗してねえかなあ。主人公がトム・クルーズだったらそうなるだろうけど、全然そういう話のつくりしてないじゃないですか。

そもそもそういうザ・エンタメな話にするんだったら、もう少し妻の役柄に配慮が必要だと思う。宿泊客をバスに乗せたのは完全に裏目になってるし、息子を捜しに戻ったせいで心優しい婦人を犠牲にするし、挙げ句自分の力でパニクった旦那を殺すってちょっとさすがにあり得なくないですか。オマケにちょっと溺れたくらいで自分の夫まで見捨てかけるし……あそこで息子が奮起してなかったら完璧に戦犯ですよ。無意識にでもこういうつくりにしちゃうのは、ほんと良くないと思います。

パンピング・アイアン

 

先日見たロニー・コールマンのドキュメンタリーが面白かったんで、作品中でも伝説の作品的に紹介されてたこの作品を見た。

いやー、シュワルツェネッガーの映画だよねえこれ。もちろんボディビル界で伝説の存在だった時期を撮っているのだから当然なんだけど、まあ周囲の登場人物とは全然扱いは違うし、話す内容もちょっと格が違う感じ。というかその後のハリウッドスターとしての成功や知事になったりする辺りのことを知ってると、インタビューがあまりにもあけすけでビックリしてしまいますね。ボディビルでエクスタシーを感じるみたいなこといいながら、美女と一緒にポーズ撮っちゃうんだもんなあ。

あと冒頭のエピソードでは明確に、イジメでやられた自尊心を取り戻すためにボディビルダーをはじめた的なエピソードが語られるけれども、その自信の持ち方は外見として現れるわけで、必然的に「いかにして自分を見せるか」という点に意識が行くのだなあ。だから冒頭からムキムキマッチョマンがバレリーナに指導を受けちゃったりする、と。親子のポージング指導で「視線」に対する指示があるのもなるほどなあって感じで、つまり見てる人間の視線誘導を行ってるのか。基本的なことなんだろうけど、すげえ納得した。

西遊記

 

西遊記(1960年)

西遊記(1960年)

 

小説版の西遊記が面白いもんでつい見たんだけど、うーん、オレの想像した西遊記と全然違ってて合点がいかない。小説の方はまだ序盤しか読んでないけれどもまあ当然色々アレンジしてあって、まあそのアレンジ自体はいくらかは必要なものだし文句をつけようとは思わない。けどオレが見たかったのはキャラクターの強さとユーモアで、このアニメはそこら辺だいぶ計算から外して作られてる感じがするんだよなあ。

っていうのはやっぱり三蔵法師の聖人っぷりに原因があるのではなかろうか。いやまあスムーズにこの話を描くなら三蔵には聖人でいてもらわなきゃ困るってことなんだろうけれども、世間知らずで思い込みが激しくてひ弱な三蔵と、親分気質でいたずらっ子で仁義に厚い孫悟空の関係性を描かないのは、ウーン想像と全然違ったなあ。

あと猪八戒と沙悟浄のキャラが弱いのも惜しい。猪八戒はまだ身体でアクションできてるけど、沙悟浄は最早何者かもよくわからん感じになっちゃってるしねえ。もうすこし仲間と軽妙にやって欲しかったのだわ。

あとリンリンが謎。いやまあケモエロだけど。吹雪のシーンの芝居はとても素晴らしいのだけれども。でもアレ要る? 彼女がいるせいで、孫悟空目的が仏教的なモノから女への執着にスライドしちゃっててどうもなあ。再三の精神感応もどーなのって感じだし、うーんホントにあの構造で良かったのかしらん?

西遊記〈上〉

 

西遊記〈上〉 (岩波少年文庫)

西遊記〈上〉 (岩波少年文庫)

 

えーなにこれ!? めっちゃおもしろいんですけど!! いやあ、西遊記がまさかこんなに面白いとは思わなかった。全然思わなかった。

っていうかこのキャラ造型すごくない? 三蔵法師ヤバくない? なんでこんなヘタレなの? 夏目雅子とかのイメージにオレたち騙されてた? だってありがたいお経のためにテンジク向かってる偉いお坊さんのはずがすぐ「つかれた」「おなかすいた」「ごくうたすけて」ってなにその萌えキャラ。どう考えても萌えキャラでしょ。挙げ句勘違いで悟空の頭を締めて破門しちゃったりするんですよ! ありえないでしょ!

悟空はテキトーだけど想像以上に義に厚いというか、お釈迦様に捕まってからは心を入れ替えたヤンキー先生みたいになっちゃってるし、猪八戒はこいつ意外と戦えたりするけれども欲望の塊でキャラが強いし、あー、しかし沙悟浄はまだ全然印象がないな。これからの展開に期待である沙悟浄。まあとにかくそれぞれのキャラが緩くてユーモア満載で、まさかこの時代の本でこんなに吹き出すとは思わなかったよ。すごい。

しかし改めて見ると道教と仏教の関係がイマイチよくわからんなーと思う話ではある。そうかそうか大乗仏教かーと思わず埃の積もった世界史の知識を掘り返してしまうぜ。

アカギ ― 闇に降り立った天才

 

アカギ 36―闇に降り立った天才 (近代麻雀コミックス)

アカギ 36―闇に降り立った天才 (近代麻雀コミックス)

 

もうずいぶん前、リアルタイムの「死んじゃうツモ」くらいから見てなかったんだけど、そういや完結してたなーと思い出して続きから読み始めたらまーそりゃあクッソ面白いよねえ。福本先生のマンガは結構当たり外れも大きいと思うけど、鷲巣麻雀は限定ジャンケンレベルに面白くてビックリした。いやホント面白かった。大満足。

いやまあとにかく「鷲巣麻雀」という名前が全てを表してるよね。福本マンガの魅力は奇妙なゲームとその攻略がキモだけれども、鷲巣麻雀ってゲームの仕組みを攻略していくのってホント最初だけじゃないですか。でもって正直牌が透けて見えるこのゲームが、勝負そのものをエキサイティングにするかっていうとだいぶ疑問。

でもじゃあなんでこんなルールが採用されたかというと、鷲巣っていうキャラクターを最大限に生かしてマンガを面白くするためなんだよね。いやホント、ルールを通じてこんなにキャラクターが立つとは思わなかった。

透ける牌と透けない牌を巧みに使い分けることで、麻雀マンガにありがちな余計な思考を省くのはさすがのテクニックだなあとは思ったよ。普通の麻雀マンガって、情報量が多くてどこを見るべきか一発でわからずに読むのがめちゃくちゃ疲れるんだけど、鷲巣麻雀にはその心配が無用。情報のコントロールで技術論ではなくてキャラクターの心理劇に注力させられるのは素晴らしい。

あとはなんといっても山をなくしたのがすごいよね。卓の真ん中の暗闇に手を入れるそのビジュアルもとてもいいんだけど、何よりすごいのが「ポンで牌を食いとる」「ツモ順が変わる」みたいな普通の麻雀マンガで良くある概念を無効化したこと。「ツモれば和了」という鷲巣の剛運を表現するのに、このルールはなくてはならなかったんだなあ。

あとは忘れちゃいけないのは周囲の黒服の存在意義で、常人の理性的な思考をトレースする彼らがいなければ、鷲頭様は一度大負けに負けることがなかったわけで、となれば当然超剛運のバケモノとして復活することもありえなかった。人間の論理を踏み潰してゆく剛運の鷲巣と、その剛運を目の当たりにして心服する黒服の信頼関係に、読者も共感しちゃう仕組みになっているよねーアレ。地味に素晴らしい。

そしてなんといっても血を抜くという命を懸けるあのルール。まあ最初ホントにああいう結末にするつもりだったかどうかは知らないけれども、鷲巣が立ってしまった以上試合と勝負の勝者を変えるのは一番納得のいく決着なワケで、その結末を成立させるには血抜きのギミックがどうしても必要だった。途中地獄巡りしちゃうのはさすがに悪乗りだろうと思うけれども、まあでもあのくらいたっぷり臨死体験を描いたからこ納得のいくあの結末なのだ、と、言えなくもない?

いやまあともかく面白かった。こういうルールによって物語が必然性に沿って紡がれるのは本当に最高です。鷲巣麻雀最高。