ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

アカギ ― 闇に降り立った天才

 

アカギ 36―闇に降り立った天才 (近代麻雀コミックス)

アカギ 36―闇に降り立った天才 (近代麻雀コミックス)

 

もうずいぶん前、リアルタイムの「死んじゃうツモ」くらいから見てなかったんだけど、そういや完結してたなーと思い出して続きから読み始めたらまーそりゃあクッソ面白いよねえ。福本先生のマンガは結構当たり外れも大きいと思うけど、鷲巣麻雀は限定ジャンケンレベルに面白くてビックリした。いやホント面白かった。大満足。

いやまあとにかく「鷲巣麻雀」という名前が全てを表してるよね。福本マンガの魅力は奇妙なゲームとその攻略がキモだけれども、鷲巣麻雀ってゲームの仕組みを攻略していくのってホント最初だけじゃないですか。でもって正直牌が透けて見えるこのゲームが、勝負そのものをエキサイティングにするかっていうとだいぶ疑問。

でもじゃあなんでこんなルールが採用されたかというと、鷲巣っていうキャラクターを最大限に生かしてマンガを面白くするためなんだよね。いやホント、ルールを通じてこんなにキャラクターが立つとは思わなかった。

透ける牌と透けない牌を巧みに使い分けることで、麻雀マンガにありがちな余計な思考を省くのはさすがのテクニックだなあとは思ったよ。普通の麻雀マンガって、情報量が多くてどこを見るべきか一発でわからずに読むのがめちゃくちゃ疲れるんだけど、鷲巣麻雀にはその心配が無用。情報のコントロールで技術論ではなくてキャラクターの心理劇に注力させられるのは素晴らしい。

あとはなんといっても山をなくしたのがすごいよね。卓の真ん中の暗闇に手を入れるそのビジュアルもとてもいいんだけど、何よりすごいのが「ポンで牌を食いとる」「ツモ順が変わる」みたいな普通の麻雀マンガで良くある概念を無効化したこと。「ツモれば和了」という鷲巣の剛運を表現するのに、このルールはなくてはならなかったんだなあ。

あとは忘れちゃいけないのは周囲の黒服の存在意義で、常人の理性的な思考をトレースする彼らがいなければ、鷲頭様は一度大負けに負けることがなかったわけで、となれば当然超剛運のバケモノとして復活することもありえなかった。人間の論理を踏み潰してゆく剛運の鷲巣と、その剛運を目の当たりにして心服する黒服の信頼関係に、読者も共感しちゃう仕組みになっているよねーアレ。地味に素晴らしい。

そしてなんといっても血を抜くという命を懸けるあのルール。まあ最初ホントにああいう結末にするつもりだったかどうかは知らないけれども、鷲巣が立ってしまった以上試合と勝負の勝者を変えるのは一番納得のいく決着なワケで、その結末を成立させるには血抜きのギミックがどうしても必要だった。途中地獄巡りしちゃうのはさすがに悪乗りだろうと思うけれども、まあでもあのくらいたっぷり臨死体験を描いたからこ納得のいくあの結末なのだ、と、言えなくもない?

いやまあともかく面白かった。こういうルールによって物語が必然性に沿って紡がれるのは本当に最高です。鷲巣麻雀最高。