ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

映画大好きポンポさん

pompo-the-cinephile.com

うううううーん、きもちわるいいいいい……

いや映画としては全然きちんと作っていると思うし決して悪い映画ではないのだけれども、描きたいことのために作品の中心にポンポさんを置いたことによって、日本のアニメとハリウッドの映画のポリティカルコレクトネス的なあれやこれやがもー気になって仕方ない。

例えばアニメの冒頭ではいきなりB映画のあるあるとして、おっぱいぶるんぶるんな触手プレイが描写されていて、現実の実写映画市場の中でああいう映画がきちんと一定の量を占めていることは間違いない事実である一方で、しかしそういった性の商品化みたいなのが問題視されているのも事実なワケじゃないですか。もしこれが実写で実際のハリウッドを舞台とした出来事でプロデューサーが大人の男だったら、その描写って間違いなく「女性の性的搾取」みたいな問題を文脈的に孕んじゃうわけですよ。

でもこの作品は、そのプロデューサーの位置に「ポンポさん」という神に愛された女の子をおいてしまうことで、「そこに問題はありません」ということにしてしまう。いや、問題がないどころか、むしろ現実のハリウッドでは危険を孕んでいる描写を、日本のアニメのポリコレ基準で積極的に肯定的なお色気として利用しちゃっているわけですよね。

これはもちろん、そういった非現実的な存在を作品の核としておいたことで可能になった表現であるし、その理屈は自分もきちんと理解しています。理解しているのだけれども、「映画大好き」という題材で、明確にハリウッドをバックグラウンドに敷いた作品が、映画の文脈からそういう差別的表現に対する配慮みたいなものを抜き取って、むしろ積極的に利用してしまう、みたいなやり方は、やっぱり見ていて「本当にそれでいいのかなあ」とは思います。映画好きが『国民の創生』とかワインシュタインの問題とか、そういったものに配慮のない表現をして良いのか? と感じます。穿った味方をすると、「日本のアニメだからアリなんです」とか「ハリウッドではなくてニャリウッドだから良いんだよ!」とか思ってないのかな? と不安になってしまうのです。