ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ライフ イズ ストレンジ

 

ライフ イズ ストレンジ

ライフ イズ ストレンジ

 

Steam版でプレイ。最近「Not For Me」という言葉があるとかいう話がツイッターとかで出回っていたけれどもまさにそれ。

いわゆるタイムリープもので、それをTPSの3Dでやろうという試みはすごく面白いし、フラグの分岐点を明示するなどシステム的にはとても面白いことをやっている。分岐を明示するのは大変気が利いているし、章ごとに選択結果をパーセンテージで明示するなんてとても面白いプレイ体験になっていると思う。単にストーリーを追いかける形式ではなく、プレイヤーが自由に主人公を操作することで物語に一回性を与え、オートセーブの必然性をもってラストの二択を際立たせるその作り自体は、なるほど面白いチャレンジで効果を発揮しているなーと思う。

思うんだけど、いややっぱりこのシステム根本的に大きな問題を抱えているんじゃないか。一番辛いのはヒロインの内面描写で、このシナリオははっきりループモノでの動機の担保に失敗していると思う。過去へと時間を巻き戻すことにリスクが少ないのだから、人の死を軽んじる視点を持つようにならない主人公は不自然だ。相棒が車椅子になったらその世界なんて堪能せずにさっさと元の世界に戻る方法探すのが当然じゃないか? なんでわざわざその世界で感傷に浸る必要がある? 過去の改変の試みをたった一度で諦めてしまうその理由も待ったくわからない。ラストに至っては、なぜあの異常気象と自分の能力が関連していると確信できるんだ? それって単なるストーリーの都合じゃないか?

そう、都合。もうひとつこのゲームのつくりで問題なのは「ルールの恣意的運用」だ。なぜこのタイミングではここまで過去が戻せるのにこのタイミングではここまでしか戻せないのか? なぜ屋上で突然能力が制限されるようになるのか? はっきり言ってフェアじゃない。何者かによって悲劇を語るべく物語が大きくねじ曲げられている。プレイヤーにルールを渡しておきながら、肝心なところで都合を曲げるようなこのシステムは、感情移入を大きく阻害していると思う。

もちろんこのゲームの演出の多くがプレイヤーの能動的行為に依拠していることは認めた上で、それでも、この物語を整合性のとれたフェアな形で運用するためには、プレイヤーに自由度を与えるべきではなかったと思う。中途半端に物語の決定権を与えるような見せかけになっているから、キャラクターの動機を埋めるための手間が膨大となり点を線にすることができず、また奇妙な制限を用いることで都合だけが前面に出た展開を行わなければならない。いっそ自由度をなくして映画形式でやった方がマシだ。

ラストの超現実的展開も、演出的には秀でているが、しかしその実いったい何を意味するのかが示されていない。単に扇情的な感動シーンを並べ立てているだけに思える。「ああそうか全てはマックスの夢で、このストーリーは彼女が親友の死を受け入れるまでの旅路だったんだ」的な解釈が暗示されるだけで、ラストシーンの思い入れは思いっきり深まったはずだ。突然「みんな私のせいだったんだ!」と言われても「は? 何都合良く真実に到達している体で話が進むの?」って感じ。

システムによって物語の良さが大きくスポイルされており、女性の友情の機微をタイムリープを用いて描いたストーリーにおいて、それは致命的だ。ゲームが世間的には評価されていようとなんだろうと俺は言う。Not For Me。