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ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

シン・ゴジラ

shin-godzilla.jp

端的に傑作で良いと俺は思う。

 

確かに手つきは危うい。やっぱり日本人が政治を描写するとハリウッドのように肯定的には描けないよなーと思うしカメラがどうも情緒とか描く感じには欠けるよなーとかメインの人物の動機付けがちょっと見ていて辛いとか「僕の考えた最高のポリティカルフィクション」みたいな批判をされたらまあ確かに厳しいよなーとか最後の特攻はやっぱ危うすぎるよなーとか、まあ、その、なんだ厳しい所はいっぱいある。正直日米の関係とか広島とか国家の復興とか、そういう政治的なトピックスが通り一遍な態度で扱われてる嫌いは確かに否めないと思う。うん、そういう批判はわかる。とてもよくわかる。

 

が、が、が、が、しかしである。

それでも、2011年の震災を越えて2020年のオリンピックを控えたこの年に、東京にゴジラがやってくるという映画を描くとき、組織とその信頼を肯定的に描こうとしたこの映画の立ち位置は、本当に素晴らしいと俺は感動した。というかある意味俺はその立ち位置しか見てないといってもいい。自分、怪獣映画はこまめに見てたりするわけではないのでそこら辺はさっ引いて聞いて欲しいのだけれども、「ゴジラ」という戦争とも自然災害とも、そしてもちろん核事故とも捉えることができる存在を中心において、日本という国の政治組織をこんなスタイルで描くことができるなんて俺にとっては衝撃だったし、こんな戯画化を他のジャンルで行うことが可能であるとは思えない。

テロップ利用を全く臆することなく様々な場所人事件を細かいテンポで繋ぎ人間のいわゆる「ドラマ」を最低限に抑えながら危険とそれに対応するべく構成される組織の働きを肯定的に描く。足元で潰される個人の残虐映像や悲劇なぞ、「311を見たでしょ? アレ以上に意味のある悲劇をフィクションとして撮れる?」ばかりの瓦礫ロングショットで処理しきってしまう。あとはただひたすらにカップ麺を空にしながら残業と科学と工場への信頼と現場とで、「ゴジラ」という神話的存在に対抗する物語的説得力を担保しようとする。クライマックスの戦闘は、ある意味喜劇ともいえるような荒唐無稽な作戦がギリギリのリアリズムの上で展開されるが、しかしある意味で「怪獣」という存在はそもそもそういったリアリティを超えた上に展開される存在であり、「新幹線」「タンクローリー」「丸の内高層ビル群」といった東京という街そのものを根拠とした総攻撃とあと怪獣大戦争マーチのズルいアレによって、「核がなくてもゴジラは死ぬのだ!」という展開をむりやり正当化してしまったのは、いや、うん、色々批判はあると思うけど映画としては素晴らしくまっとうことだと思う。

 

これからいくつもこの映画の欠点があげつらわれるだろうけれども、はっきりと映画に焼き付けられた監督の欲望とそのために選ばれた表現方法は、全く以て正しいと思うし、俺は『シン・ゴジラ』が他には観ることのできない傑作だと思う。

こんな映画、観たことない。