ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

さよならダイノサウルス

さよならダイノサウルス (ハヤカワ文庫SF)

さよならダイノサウルス (ハヤカワ文庫SF)

自分は真面目なSF読みからはほど遠い人間なのだが、それでも科学者二人組が白亜紀末期に向かい恐竜ハントしたりしながら大量絶滅の謎に迫る! という序盤にもう心が揺さぶられて堪らない。
経済危機によって各国の研究予算が削られ、社会における科学の役割が減ぜられているというバックグラウンドをしつらえ、しかも「タイムマシン」「恐竜絶滅の謎」なんてなんの新鮮味のないガジェットを使用しておきながら、そこで語られる物語は全くもってSF的な驚きに満ちているのである。世界観がひっくり返されるのである。
「知ってるよ? 恐竜って隕石で絶滅したんでしょ?」なんて固まりきった無根拠な先入観を、SFという年季もののハンマーでガチコーン! とかち割られた感じ。
だってさ! 白亜紀末期は重力が半分なんだぜ! だから人間だって、軽いやつだったら素手で恐竜と戦えたりするんだぜ! 手つかずの恐竜の森をジープでワクワク探検なんだぜ!
ヴェルヌとかキャプテン・フューチャーとかを手放しで面白いと思う自分には、なんていうかもう、大好物としか言いようがありません!

とまあ、そんな感じで読み始めた本作だが、いやあ、読み進めると自分の視点がいかに狭量なものであったかを思い知らされるのだった。
読み終えてみれば、これはただの恐竜時代アクションではなく、タイムトラベルの時間ミステリであり、異文化との交流の記録であり、心の熱くなる人間ドラマであり、人と神の関係への問いかけだ。
ってか、この分量でテーマに沿ってこれだけの内容を詰め込みながら、しかし絶対にエンターテインメントとしての基本線を外さないってのがもう感服するしかない。すげえ。


ところで『ドゥームズデイ・ブック』と似たようなテーマの小説が続いてしまい、正直ちょっと困惑している。
上にも書いたように、『さよならダイノサウルス』はエンターテインメントとして傑作だと思うのだが、やっぱりそれはどこか失ってしまった純粋さへの憧憬、のようなものが含まれているような気もするのだ。

たとえばそれはそのふたつの作品が「神」をどのようにとらえているかで対比される。
「神」は人が創りだしたものなのか? それとも人のうちに「神」を見いだすべきものなのか? 人間にはどうしようもない困難が襲い、神にすがるしかなくなったとき、その神を人間は代替しうるのか?
このふたつの小説の「神」の概念の裏には、きっと科学が果たす役割が透けて見え、でもってオレは『ドゥームズデイ・ブック』の方に深く共感してしまっているんだよなあ。
10年前なら違ったのかなあ。なんかせつねえなあ。