ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

新宿鮫2 毒猿

 

毒猿 新装版: 新宿鮫2 (光文社文庫)

毒猿 新装版: 新宿鮫2 (光文社文庫)

 

続きを読もうか読むまいか大変悩んだんだけど「2巻からがいいよ」と聞いたのでとりあえず読んだ。

毒猿のキャラクターが非常に魅力的で、全体のプロットも悪くなく、まずまず楽しく読めたんだけれども、うーん、やっぱり「ちゃんとしてるなあ」より一歩踏み出した印象はないなあ。プロットで言うと、毒猿の始末を主人公が受け取るところがメチャクチャ難易度の高いキーポイントだと思うんだけど、そこであの役割を受け取る主人公の心情に全然着いていけない。主人公の内面で言うと、むしろ1巻の狂気を滲ませた行動原理の方が全然面白かったなあ、と思う。

あとは周囲のキャラクターの立て方が弱いのも気になって、敵のボスとかもあまりいいところ見せられないし、拷問を受けるヒロインだってもっと見せ方があったんじゃないかなあ、と思う。そういう読み方をする小説じゃないのかなあ。しかしストーリー運びだけで楽しむ作品って感じもしないんだよなあ。

続きを読まなきゃ! という感じもあまりしないので、3巻を読むかどうか大変迷う……とか言いながらも続きの話は買っていて、まあ読んでしまいそうな気もするなあ。

消されたヘッドライン

 

クソしぶい映画だなこれ。主役はアウトローな記者という役どころだけれども、ブン回し加減は正しくハードボイルドって感じで、その空気がなかなか面白い。可愛く利発な後輩ちゃんとのやり取りがメインのラインになるのかな、と思いつつもストーリーを追っていくと主人公の心が延々三角関係に囚われている辺りの描き方も大変よろしい。というか、民間軍事会社の欺瞞を暴く正義の若手政治家を友人のジャーナリスト視点で、みたいな告発映画みたいな体を取りながら、行き着く先は三角関係のもつれで誤って起こった殺人の決着をいかにつけるか、みたいなかなり私的な刃傷沙汰に行き着くあたりは、まあ嫌いになれない映画ですよねこれ。所々ストーリー展開がわかんない感じもするけれども、そこら辺が気にならないくらい主人公の人生に共感しながら見入っている自分に気付き驚きました。ラッセル・クロウはこういう評定させるとズルいよなあ。

あと本当にどうでも良いんだけど、最初の泥棒が走るシーンのとにかく凄まじい勢いのある辺りがめちゃくちゃ印象に残っている。あまりに過剰であそこまで目立つことに何の意味があるのかよくわからないけれど、でもまあ掴みとしては最高だよね。何の意味があるかよくわからないけれど。

デッドクリフ

 

デッドクリフ(字幕版)
 

低予算のためにどうやってスケールを小さくするのか、というのはこういうワンアイディア映画での重要な関門だけど、それを鉄の山道で成立させてしまうというのが面白い。「ヴィア・フェラータ」っていうのかしら? 世界遺産ドロミーティの回でこういう移動法が観光地になっている、みたいな話を聞いたなあ、なんて思いながら。

ということで前半はたっぷり「ヴィア・フェラータ」を見せつつも緊張感を高めていく話になっていて、ベタベタな三角関係をベースに含んだ山登りはまあ有無を言わせぬ引力があるよね。落下する恐怖はまさにサスペンスだよなー、なんて思いながらなかなか楽しい。

が、後半になって悪人が出てきてからの展開はどうも微妙。それまで楽しかったヴィア・フェラータの要素が全く無くなって、罠を仕掛けた狩人との対決になってしまって、それもう普通の遭難ものと変わんないよね。輪をかけてきついのが敵のキャラの立てられなさで、特徴がないとか恐怖感がないとかそれ以前に基本的に弱そう。というか実際大して強くなくて、アレふつうに待ち伏せたら勝てそうだよね。挙げ句炎天下でガチで殴り合ったりしちゃって、クライマックスシーンにもかかわらず、思わず大爆笑してしまいました。あんな悪役みたことないでしょ。

ダブル・ジョパディー

 

なんだろーねこの時代が醸し出すいかにも感じは。「このアイディアを使ってこうお客を引っ張りこむんだ! 冴えたアイディアだろう? あとはここらへんの役者を使ってなあなあで……」ってイメージ。

序盤から仮出所あたりのデキは、やっぱり抜群に力強いんですよ。色々ツッコミどころは浮かんで、「ヒロインの行動読まれすぎじゃないですか?」とか「第三者が活動しだしたらどうするんですか?」とか色々あるんだけど、でも「ダブル・ジョパディー」という概念を手に入れた途端、ヒロインが復讐の時に向けてトレーニングを始める、あの瞬間の高揚感には全てヤボになっちゃうわけですよ。あのシーンがあるだけでもう満足ですよ。満足。

でまあ、そっから先は言ってしまえば大変な引き延ばしと蛇足で、ヒロインが復讐のための狂気を見せたのってフェリーから車で飛び降りたあのシーンくらいじゃないでしょうか。っていうかクライマックスの銃撃戦でヒロインが自ら引き金を絞らないとかマジでヌルすぎる。息子の居場所なんてそんなもん殺してしまえば必ず連絡が行くわけです。刑務所であんなトレーニングをさせられておいて、しかもダブル・ジョパディーという免罪符まで持っておきながら、何故殺さないのか。ついでに夫もなんで銃の有無も確認せずに棺桶に閉じ込めてその場を去ってしまうのか。中途半端なヒューマニズムが作品をダメにしてしまっていると思いますはい。

ウは宇宙ヤバイのウ! ~セカイが滅ぶ5秒前~

 

ウは宇宙ヤバイのウ! ~セカイが滅ぶ5秒前~ (一迅社文庫)

ウは宇宙ヤバイのウ! ~セカイが滅ぶ5秒前~ (一迅社文庫)

 

あーすごいなんか懐かしい感じのSFだ。『成恵の世界』とか思い出すよねこれ。内容的に今風のラノベにアップデートしきれてるかと問われるとうーんなんかよくわからんがもうちょっと普遍的なラノベっぽいよねという感じもして、なんかこう笹本祐一? とかの方がちけーんじゃねーかなーとかも思うがまあしかしこの内容だったら作者もそっちで全然悪くないと思ってそうな気も。

いやしかしもちろんきちんと面白くつくってあって、幼馴染みブラックホール胃袋の下りは出色。こんなギャグっぽい設定なんで必要なの? って思ってたら、小説ならではの筆致でバコーンと地球の危機を救っちゃって、こういう文章だけが描けるワンダーがあるのは素晴らしいなあと思った。伏線を掻き集めて加速度的に宇宙の謎に主人公の出自が関わっていく最後の種明かしも大変良い。

しかしなあ、序盤の辺りの食い足りない感じはもう少しどうにかならなかったのかなあ。あまりにベタな入りでありながら、キャラクターもそこまで過剰ではなく……キャラクターのやり取りがこなれていてストーリーの語り口もスマートだからこそ、ちょっと物足りなさを感じてしまった。キャラの挿絵も合わせて、もう少し印象に残るキャラクター造型だったらなあ、と思う。

ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ

 

わはははははは! ひでージャケット! この映画を端的に表現しすぎだろ!

まず感じるのは全体の雑さ。最初のなんか笑っちゃうデ・ニーロ待ちシーンのシーンでトーンを察しろ! とか、ダスティン・ホフマンが出た時点でわかるだろそんなの! とかいうことなのかもしれないけど、オレは雑さに対してどういう態度をとるべきか全然わかんなかった。鈍すぎ。でもさ、オプティカル合成とかどのくらいガチですげえものを見せている演出なのか良くわかんないし、もしガチでやってるなら「いったいどこから撮ったカメラなの?」って疑問が正当化されちゃうわけじゃないですか。手持ちカメラ風にちょこちょこ挟まれる急なズームが出るたびに「?????」が脳裏に浮かぶわけですよ。さすがに飛行機落下シーンで「完璧にギャグだな」と胸を撫で下ろすわけだけれども、いやしかし撫で下ろしたら下ろしたでギャグとして面白いのかと問われると全然面白くないので困ったけどさあ。

ひとつの物語をいかにして語りきるか、という視点から脚本見るとなかなか面白いなあとは思えるけど、「現実」と「虚構」の鬩ぎ合いからひとつのストーリーを生み出す、という話ではないのがちょっと惜しいよなあ。この作品は最初から「現実」の側を描く努力を放棄して、「虚構」と「ハプニング」の間でストーリーを展開させているわけだけれども、もう少し現実を戯画化させた格好で作品に落とし込んでも良かったのではないかなあ、と思う。

スーサイド・スクワッド

 

Huluで立て続けに見たマーベルシリーズなんだけど、どうにもこう全体的にピンとこなくて、知り合いのアメコミファンと映画の話をしたら、『エイジ・オブ・ウルトロン』と『シビル・ウォー』の評価が真逆でおどろいた。全然意味わかんなくて色々話を聞いたんだけれども、どうもアメコミではヒーローが自衛の権利を行使するという視点が大変重要であるらしい。いやまあ、ハリウッド映画が描くヒーロー像でもそのあたりはテーマになってくる作品はちょこちょこあるし、銃を持つ権利が憲法に記されて……なんて下りもたまに出てくるから、そういう概念があるのだなあというのはもちろん知っていた。でも日本文化で漠然と暮らしていると、連邦政府への不審感とか全然ピンとこないわけで、そこら辺の感覚の違いがずいぶん映画の見方に影響を与えているんだなー、と感心した。

そういう視座を得てから観た『スーサイド・スクワッド』なんだけれども、なるほどこういう映画はそれぞれのヒーローの戦う理由にフォーカスして作品を観ればいいのね。いやあ、蒙が啓けました。いやね、類型化してしまえばそれぞれの個人が社会に対して力を行使するパターンなんて決まっているわけで、例えば『シビル・ウォー』の最後のエピソードなんかも、それ単体で観れば「なんだそんな安易な仕組みでこのシリーズ全体を駆動させていたの?」というようなレベルに収まっちゃってると思うんです。自分はそれでだいぶ興醒めしてしまった。でもたぶん重要なのは、それぞれの動機をもっと抽象化して、一種のイデオロギーとしてそれぞれの動機のぶつかり合いを捉えることだったんだろうなあ。

そうやって考えると、『スーサイド・スクワッド』におけるヒーローの動機というのは大変クレバーにできていて、最初は「殺されないため」に戦っていたヒーローたちが、中盤で指導者を失い戦う理由を喪失、生死なんてどうでもいい状態に追い込まれるんだけれども、そこで再び身近な人間への愛のために再起する――という流れが大変わかりやすく描かれていて感心。バーのシーンで「酒の力を使ってミラクルを起こすのか?」とか思ってたら、ストレートにトラウマ告白が始まっちゃってあれあれーと思ったけど、でも愛の話というまとめ方をするには、ああいう真正面からのブン殴りエピソードが必要だったのね。それ単体じゃちょっと辛かったかもしれないけど、そこに「コップと炎」の演出があって本当に良かった! ラスボスも、娘ファンタジーシーンをギリギリのクサさで描きつつ、最後にハーレクインの「LOVE」の弾丸が爆弾を撃ち抜く……という作品のテーマを凝縮したクライマックスで、もうあのシーンを観ることができたら、はい、もう大満足でございます。

 

とはいえ演出が強弱をつけ損なっていて垢抜けない感じになっているのは大変不満で、いくら名曲をブチ込んでも名曲を生かす演出がデキなかったら台無しよね。冒頭のモッサリした感じでもうこの映画どうなってしまうのかと思った。ハーレクインのキャラがもう凄まじく良くできていたけれども、それはキャラデザの力って感じがスゲーしたので、もう少し映画の演出で周囲のキャラ付けも強くできたらよかったのになあ、と思いました。