ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

劇場版 ソードアート・オンライン ―オーディナル・スケール―

sao-movie.net

恥ずかしながらオレSAOってアニメも全然追ってなくて、どんな話かなんとなくしかわからない。この映画も評判になっているのは知っているけれども自分では観る気がなくて、友人がどうしてもって言うから劇場に付き合っただけなのだった。

が、しかし、いやー面白いねこれ。とにかく驚いたのはその物語の読み取りやすさで、前提知識が事前に電車で受けた1期2期の大まかな流れだけだったのに、いやあ物語がわかるわかる。物語を語るときの黄金律ようなものを創り手がしっかり把握していて、それを適切な形で扱っているんだろうなーって感じがする。ってかゴリゴリ枚数力押しの超絶ラスボス戦闘シーンの狭間の一瞬、最後の一撃で影みたいなのが出たとき「あーたぶんこのヒロインはこの世界でこういう運命を背負ってたんだろうなー」っていうのが瞬時に想像できるのはホントにビビる。なんなんだこのわかりやすさは。

あーそうそうわかりやすさと言えばARの扱い方が出色の出来で、いやーすごいよねコレ。『電脳コイル』ではARをどのように物語に落とし込むのかがもうちょっと足りなくて悔しい思いをしたもんだけれども、ようやく時代に技術が追いついてリアリティがいや増した感じ。もちろん細かいところを詰めると「いやーさすがに」ってところも出てくるんだけど、その細かいところを気にさせずに見せるのが演出ってヤツなわけで。

トーリーとしては中盤ちょっと展開が足りなくてダレたかなー、ラストが捻りがもう少し足りんかなー、という気もしなくはないけれども、まあ何はともあれ良いお話でありました。

にしてもなー、あんなにはっきりとヒロインとの関係に責任を取りにいってるんだなー、すごいなー。

神話の力

 

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

一度は読まなきゃなきゃならんのだろうなあ、と思って読み始めたが終始勉強のために読んでる感じでどうにも実になった感じがしない。部分部分のエピソードは大変おもしろいものもあって、物語の根幹が人間の人生に求められる、みたいなものすごく根本的な部分には「あーなるほどそうだよなあ」と納得する。人間が生まれて死ぬってサイクルがある種の物語なのよね。

でも全体的に内容が散漫に思えてしまうのは、そもそも自分が神話の素養、というか前提知識を持っていないのが原因なんだろうなあ。対談者のふたりが前提として持っている教養に、こっちの理解が全然追っつかない。神話に繰り返し出てくるモチーフを色々持ち出されても、あまりに神話の知識が貧弱で、頭の中を素通りしてしまう感じ。あんまり良くない読み方をしてしまったなあと思う。

にしてもなあ、『スター・ウォーズ』ってやっぱりエポックメイキングだったんだなあ。確かにあの作品の語り口は謎で、冒頭で文字でダラララララっと状況説明しちゃうなんてとんでもないことをしてるのに、なんであんなにおもしろいんだろうなあ。そこには神話の力があったのかしら。

ガンマン大連合

 

ガンマン大連合 HDマスター版 [DVD]

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モリコーネの主題歌が流れた時点でこの映画勝ちじゃねーか。ストーリーとか辻褄とかキャラクターとか置き去りにしてまず圧倒的に主題歌が強い。強すぎる。なんなんだろうなーモリコーネの圧倒的滾り力。問答無用で血圧が上がる。すごい。

ある種のバディものの形式で話が進んでいくわけだけれども、おバカな方がなかなか憎めない。バカな主人公がもっとバカだった頃……という導入は、最高に興味を惹く導入だよなあ。ラストを見終えて振り返ると、冒頭でアレだけ女優を走らせて引っ張った挙げ句対立の原因はそんなんかーい! みたいな感じもしなくもないけれども、まあマカロニなんてハッタリにハッタリを重ねてナンボなわけで。ストーリーもわりとしっちゃかめっちゃかで「なんでそっち側に着くの?」みたいなところは正直よーわからんけれども、「やっちまおうぜ!」とカメラに向かってスローモーションで駆け出されてもうみんなチャラにしてしまうのだった。でもそれが成立するのってやっぱモリコーネの力がでかいよな、うん。

あとなんかよくわからんのは革命。セルジオ・レオーネの『夕陽のギャングたち』でも革命が重要なモチーフになっていたけど、この頃のイタリアってそんなに革命が求められていた時代だったのかしら。

ザ・マスター

 

ザ・マスター [Blu-ray]

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ポール・トマス・アンダーソンの映画はすごいなあ。画面見てるだけで「あれ? なんかこれ普通と違うぞ」と感じてしまうのはいったい何なのか。デパートでヒロインが売り子として登場した長回しでもう「はあああああ……」と溜息出ちゃうもんなあ。

最初は何の話かサッパリわからなかったんだけど、船に乗ったところで「あれー?」と記憶が疼く。そうかそうかやっぱりサイエントロジーか。創始者も船に乗って信者と暮らしたってエピソードが強烈だったもんなあ。実際「瞬きをするな」エピソードの吸引力は結構すごくて、いやまあPTAの映像&役者の説得力が大きいんだろうけど、人間の意識ってああいう単純で非日常的な誘導によって簡単に道を踏み外すんだなーと説得されてしまう。中盤のモンタージュで壁を行き来する辺りとか、いやーほんと手に汗握る映像だよなあ。

こういう映画を自分がどれだけ読み取れてんのかわからんけれども、このくらいの塩梅がちょうどいいなあ。適切に映画の意味を読み取ろうとする感じ。もちろんそれはサイエントロジーへの前提知識と役者と映像の説得力があるからこそ何だろうけど。

ヘイル、シーザー!

 

ちょっと前に見ていて感想を書くのをすっかり忘れていた。コーエン兄弟ってかなり「おーすげー」って感心する映画な率がすげえ高いんだけど、すげー映画でもないようについては結構忘れていたりして、内容がそんなに感心しないとさらに忘れちゃうよなあ。

今回はジョージ・クルーニーを迎えての映画舞台の映画なワケですが、コメディってこともあってなんか全体的に肩の力を抜いたような感じで、自分にはどーも乗り切れないというか、あ、なんか潜水艦来て映画が終わった! という感じで驚いた。映画業界に務めているからこその妙味とかありそうな感じはするんだけど、全然読み取れないからなあ。共産主義者が出てきたときは「うおー! そっちかい!」と爆笑したけれども、でもそれがハリウッド人的にどのように受け取られていたか、というのははっきり言ってわからん。

いやまあ、そこら辺に意識を取られすぎていて観るべきところを見落としてる気もするけれども。

最後にして最初のアイドル

 

最後にして最初のアイドル

最後にして最初のアイドル

 

いやはやなんとも見事なSFで、世界崩壊後の自衛パートで「え? 突然この人たち何しちゃってるの?」「っていうかなんでこんな自然にアイドル活動を読み替えちゃってるの?」「それホントの意味での生存競争じゃん!」と脳内でツッコミが入るんだけど、いやそのツッコミがまさに正しいツッコミであるわけで降参。アイドルの本質はアイドルであることそのもので、しかしただの女の子ではテレビに出しても間が持たないからマイクを持たせただけなのだ、みたいな話をどっかのアイドル本の冒頭で読んだ気がするけれども、まさにソレ。アイドルはアイドルであるからこそアイドルなのだという論理の循環を、インフレさせてインフレさせて宇宙規模で語っちゃった上に最後独我論みたいなところにまで落とし込んで語るんだからまーロジカルに正しすぎて参りましたって感じでございます。

この小説を描くにはたぶん一次創作にあったアイドルの強度が必要だったんだろうなあ。元ネタを良く知らないけれど、でもこの小説を読めば「オレは知らないアイドルに対しての妄執そのものがこの作品をドライブしている」って感がメチャクチャ伝わってくるし、むしろその抽象的な装置としてのアイドルの説得力がこの作品全体を支えてるんだもんなあ。

セント・エルモス・ファイアー

 

いやもうはっきりいってこういう色恋沙汰のあれやこれやにそもそも全く興味がないのだけれども、輪をかけて登場人物が多くて思い入れも持てなくてどーしょーもない。いやまあ色々起こっているのはわかるんだけどその色々の内容を全くもって積極的に追う気になれなくてあーうんそーですかはいそーですかと思っているウチに一本終わってしまった。いやなんか大変不誠実な見方な感じがするのけれどもまあ実際不誠実なんだからしょうがないな。うん、しょうがない。

しかしこれ脚本としても工夫とかもう少し読み取れたらなんか印象が違ったのかもしれないけれども、なんかこうパーティーの一夜で色んなことがばかばか起こりすぎてうおー色々あって大変だなーと興奮したは良いもののなんでそこであんなに盛り上げる必要があったのかはよくわからず、んーなんなんだこれはとか思っている間に部屋にひきこもり事件が起こりあーこのしっちゃかめっちゃかぶりはそれはそれで、みたいな風に思っていたらセントエルモの火があーだこーだとなんかそれっぽい台詞で締めの空気出されて一丁上がり! みたいな。

いやほんと不誠実な観客ですみません……