だいぶ前に買った本だけれども積んであったのだった。
まだ国立競技場のザハ案がイキだったころの話で、今読み返してみるとだいぶ状況が変わってるよなー、というのが前提の上ではあるけれども、いやまあしかしそこら辺の状況をさっ引いても、あんまり納得のいかない本だよなーと思う。
結局、風景がアリやナシかという部分が「アトム的」「ジブリ的」みたいな思いつきみたいな図式でしか語られておらず、いやーだからそういう場当たり的なコンセプトのなさが根本的な原因なんじゃないの? という風に思う。
そういう意味ではもうまったく降って湧いたとしか思えない東京オリンピックがアリで、しかし市民の意見を反映していない国立競技場がナシ、というロジックがちょっと理解できないなー。箱化における公というイメージの恣意的な仕様を見てもそうだけれども、圧倒的にそういった「個ではカバーしきれない分野」に対する彫り込みが浅い感じ。国立競技場のプレゼン動画をザハが出したとき、日本という国がオリンピックでなにをコンセプトにするべきか、という点はきちんと問題としていたように思うんだけれどなー。
「成熟」した日本ってなに? 少なくとも、「ジブリ的」みたいなザックリした雰囲気だけでモヤッとした議論を投げるような、そういうあり方が求められる社会じゃない気がするんだけどなー。(そういう意味ではもちろん、安藤忠雄の言葉が正解とも思ってはいないけどさ)