ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

火星の人

 

火星の人

火星の人

 

うわー面白ーい、と諸手を挙げて楽しんでいる自分が興味深いなーと思うのは、映画化された『オデッセイ』の印象がイマイチだったからで、この両者を見比べると両ジャンルの表現の違いとか俺の引っかかっていたポイントがよくわかる。

まず何よりも原作との違いで驚いたのはテーマ曲が「アイ・ウィル・サバイブ」ではなくて「ステイン・アライブ」だったこと! というのは言い過ぎだけどでもやっぱりその変更って映画全体のトーンを決定づけてるよね。というか映画全体をディスコソングで彩ることで作品全体が懐古主義の色合いを帯びちゃってるのがどーしても気になってしまってたのだ。が、原作においてディスコ音楽の扱いって「70年代のどーしょーもない、でも愛すべき大衆文化たち」のうちのひとつにしかすぎず、主人公はその表現に徹底的なユーモアと留保をもって付き合ってるよね。その距離感が保てれるかどうかで、宇宙開発なんて懐古主義的な題材をどのように扱っているか、のトーンが全然違っているように感じられたのだった。

地球の人間が主人公を待っている描写もジャンルの違いを強く感じた。小説版だとあくまでも視点はNASAの組織内にあって、ニュースがどのように世界中の人々に消費されているかまでは描かれていない。でも映像化するならばその発表やらインタビューやら写真やらを見て応援している人々の顔を表現せざるを得ないわけで、すると必然的に全世界の感情的な共感やらを表現してしまうよなあ。そこでずいぶん両者のトーンが違ってしまっているように思った。

あとはなんといってもアイアンマンだなあ。映画館で観たときは、まあ映画だししょーがないかー見た目に派手だもんなーと無理矢理自分を納得させてはみたけれど、正直「えーここまでキッチリ科学に付き合うように見せといて、ラストでそんなヤベー技使うのかよありえねーよなー」と興醒めした気持ちがないとも言えなかった。そんなきりもみ必至のギャンブルをここに来てやる? だから小説版のラストでアイアンマンパートがなくて大変安堵。そうだよなー4%が「高すぎる」とかいってる世界観であのリアリティはあり得ないよなー。

いやでもそれらの差違って映画はきちんと映画の仕事をしているってことに他ならず、味付けを明確に映像化向けに調整してきたのは素晴らしいなーと思います。というか逆に映画の評価が上がったのだった。