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ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

下読み男子と投稿女子 -優しい空が見た、内気な海の話。

 

ラノベに関するラノベ作品は普通にあるけれど、職業ものとしてリアリティを扱いかねてるなーと言う作品はかなり多い。いやまああなたはラノベ作品を世の中に送り出している立場ですから、その業界の酸いも甘いもかみ分けており、自虐ネタ無しにそのジャンルについてのフィクションを描けないのかもしれませんし、その自虐こそが職業もの特有の作品の面白味と考えているのかもしれませんけど、他人の愚痴って本人が思っているほど面白くないものですからね? みたいなヤツ。「ぶっちゃけコレって自分の一番楽な題材を美少女に包んでラノベパッケージングしてやっただけだよね」って実際思いません? オレだけ?

ほら、例えばマンガマンガがあるわけじゃないですか。『まんが道』とかさ。アレ、もちろんリアリティがあって「へーあの面白いマンガの制作の裏側にはこんなギリギリのリアリティがあるのか……」みたいな驚きは確かにある。あるんだけど、それに説得力を与えてるのって、やっぱりマンガという表現に対する信頼というか、信仰なワケじゃないですか。「マンガは面白い」――そのシンプルにして強固な信念が、自虐への強烈なカウンターとして機能しているから、エンターテインメントたり得るわけで。

ラノベラノベの作者って、ラノベをどこまで信仰できてるの?」ってのは、私常々疑問だったわけです。

でまあようやく『下読み男子と投稿女子』の話ですけど、いや、その信仰が描けている時点でもう満点ですね。物語を読むことが喜びである、ライトノベルというジャンルが素晴らしい、という主人公の感情がビリビリ伝わってくるその描写だけで、私ちょっとアレな話なんですが、ボロボロ涙が止まりませんでした。別にさ、全てを肯定的に描く必要はないと思うけど、フィクションとしてエンターテインメントとして、美しく表現されるべきものを美しく描くことは必要だし、それって書き手のジャンルへの信頼を映してしまう気がするんだよねえ。

作品として見たときには、祖母との和解させ展開とかは結構物語の構造に寄りかかって無理矢理解決させてる感があるなあとか、虚構との二重構造は協力過ぎるが故にちょっとやりすぎかなあ、とかそういう感じもしなくもないけれども、最後の和解のきっかけが時間差の評価シートとか、そういうスーパー気が利いた小道具とかも抜群に上手く、大変気持ち良く読み終えられた作品でございました。