ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

僕は友達が少ない

僕は友達が少ない (MF文庫J)

僕は友達が少ない (MF文庫J)

いや、今回はものすごく個人的な、妄想めいた感想なんだけど。
気持ち悪いから全然、気持ち悪い人は、回れ右して帰ってもらった方がいいかもだけど。
でもまあ、書き散らします。


いやあ、なんかさあ、この間『ラノベ部』(http://d.hatena.ne.jp/hishamaru/20091119)について、いろいろしち面倒くさいこと言いながら、あの小説は正しいことをやろうとしてて、それに感心したなあとか書いたけどさあ。
いや、今も正しい小説だとは思うんだけどさあ。

ぶっちゃけあれ、おもしろくはないよね。

どんだけターゲットが的確で、どんだけ構成が美しくて、どんだけ挿絵がキャッチーでもさあ、『はがない』読んだ後だとさあ、『ラノベ部』のキャラクターって、作者が全然楽しく描けてないのがはっきりわかる。キャラクターの力、全然、信じられてないのが、バッチリ伝わってくるんだよなあ。


自分、パロディが好きでね。ライトノベルのパロディは昔から好きで。でも振り返ってみると、自分のラノベのパロディの原点って、やっぱりガルディーンなのね。『未来放浪ガルディーン』
でもさ、アレを初めて読んだ自分、中二とかなの。チンコに毛が生えたばっかりで、『電脳通信PIPI』とかドキドキしながらレジに持って行くくらいの年頃で、クラスメイトのE野くん(柔道部で身長180センチ)に頼み込んで心臓飛び出すくらいバクバクさせながら「同窓会」とか買いに行ったりするピュアボーイなの。
そんな浅薄で軟弱な中二の自分がさ、突然「第一話 シェルブールの三度笠」とか言われたって元ネタわかるかっつーの! わかるわけねーじゃん!
特撮とかに特に興味があるわけでもない地方の根暗中学生がどれだけ背伸びしたところで、SF作家火浦功のガルディーン内にちりばめられたパロディーの1パーセントも理解できないわけ。教養について行けるわけないの。

でもね、じゃあその1パーセントも理解できないガルディーンのパロディーがつまんなかったか? って聞かれると、まあこれは声を大にしてはっきりと言えるんだけど、おもしろかったんだわ。
なんかよくわかんないけど、理解できないはずなんだけれども、「ああ、楽しいな」って思えた。いつだかわかんないけど、きっと自分もいつかこのパロディを理解できたらなあ、とかいう憧れも込みなんだろうけど。

それって、やっぱり、作者が楽しそうに見えたからなんじゃないかなあ、と思う。


で、『僕は友達が少ない』にも間違いなくその感覚があって、まあ一番わかりやすいのはエロゲーなんだけど、あの隠語エロ台詞がパロディとして「最高におもしれーな!」と思ったの。
今のパロディって、基本的に「あるある」「知ってる」っていう読者の共感を得る役割を担ってるから、俺妹の「妹エロゲ」とか『生徒会の一存』のひぐらしネタとか、そういう最大公約数的なネタを仕込んでいくのがベーシック。

でもさあ、自分は正直それが全然おもしろいようには感じられないんだよなあ。
もちろん自分がメインターゲットの中高生から大きく離れてて、だから共感を得る役割のパロディの意味を本質的にはつかめてないのかもしれないけど、でもパロディのあるべき姿ってそこにはないんじゃないかなあ、って直感的に思う。予定調和なパロディって、つまんなくね?
「ぎゃー! そこまでやるの!」とか「いやいや、それはわかんないよ」とか、そういう読者の予想を遙かに超えて、いっそ大多数に理解不能なところにこそ、一回裏返ったおもしろさがあるんじゃないのかなあ……

たとえばこの小説に出てくるエロゲーって、「今度アニメ化される王道ファンタジー」みたいな描かれてるけど、でもちゃんとエロゲーに触れたことのある人なら「アニメ化されるエロゲがんな卑語言わねーだろ!」とちゃんと突っ込みながらゲラゲラ笑えて、でもこの小説のメインターゲットである中高生は基本的にそれを理解できてなくて、っていうか理解できてちゃ困るわけで、たぶん作者もそれはわかってて、でもやっぱり承知の上でゲラゲラ笑いながら書いている……みたいな。
そんな関係が、自分は、好きだなあ、と。


で、ちゃんと実力のある作者が、そこまで楽しくかけていりゃあ、キャラクターはちゃんと生きるし、作品はおもしろくなるよなあ、と。
そんなことを思いました。