ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

父親たちの星条旗

父親たちの星条旗 [Blu-ray]

父親たちの星条旗 [Blu-ray]

冒頭、硫黄島で星条旗を掲げたあの有名な写真を、6人のうち生き残った3人が、巨大なスタジアムで再現する。
観客の前、打ち上げられる花火の前で腕を振る3人の兵士は、祖国を救った英雄の象徴として描かれている。


それから映画は一度、硫黄島の写真が新聞に載る場面まで時間が巻き戻る。
硫黄島に旗を立てる兵士たちの姿は、写真のフレームに収められ新聞で全国に配られた途端、本人たちが想像もしていなかった巨大な「物語」の象徴となっていく。

「戦争継続のためには、国債を売らなければならない」「硫黄島の写真の兵士は、そのキャンペーンに最適である」――そんな国家の思惑の元、3人は祖国へと呼び戻される。
もちろん彼らは、偶然あそこにいて旗を立てただけであり、自分たちが英雄でないことをはっきりと自覚している。
だが、仲間はその瞬間も戦場で戦い続けており、彼らを助けるためには、国民に深く感銘を与える「硫黄島の星条旗」という「物語」が必要であることも理解している。
彼らはその理屈に納得して、自ら「英雄」という役割を引き受けるのだ。


全国行脚の中で、大衆が酔いしれる「硫黄島の星条旗」という偽りの物語を語りつづける、3人の兵士。
だが旅と平行して描かれる戦争の記憶が、徐々に彼らを苛んでいく。
戦場で無意味に死んでいく仲間たちの記憶。だが、彼らは仲間の無意味な死が、決して偽りの物語で補われるわけではないことを知っている。

中でも決定的なのは、「写真にいないのに写っているとされた兵士」「写真にいるのに写っていないとされた兵士」の物語である。
息子の死に意味を見いだそうと、「硫黄島の星条旗」という物語にすがる母親。
写真に写る生前の息子の姿を周囲に認めてもらえず、息子の死を正しく意味づけられない母親。
「多くの人間が望む、美しい正義の物語」と、「大きな力に覆い隠された、真実の死の物語」――
そのふたつに押しつぶされて、生き残った3人のうちのひとりは、とうとう良心の呵責に耐えきれなくなり、酒に溺れるようになるのだ。

そして再び、冒頭のシーンへと時間軸が戻る。
「戦場の過酷な岩肌」に思えた地面は「スタジアムに急遽しつらえられた張りぼて」であり、「戦争で疲弊しながら歩いている」ように思えた兵士は「良心の呵責で酔いつぶれていた」兵士だった――このシーンの再解釈こそがの映画の白眉だ。
全く、溜息の出る脚本である。


だが映画はここで終わらず、思いの外長いエピローグが続くことになる。
時間軸は現代へと移動し、3人のそれからの人生が、そのうちひとりの息子によって語られるのだ。

「人生」とは、残された人間にとっての「物語」である。
だが、その物語が真実からかけ離れているほど、残酷なことはあるだろうか?

「硫黄島の星条旗」という、個人の力ではどうにもならない巨大な物語により、歪められてしまった兵士たちの人生の物語。
真摯で曇りのない瞳で、埋もれてしまったひとりの兵士の「人生の物語」をもう一度語り直すこと――
それこそが、この映画という物語の意図するところだったのだろう。


いやいや、しかし、物語とはつくづく因果なものだなあ。