ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

今日もオカリナを吹く予定はない

今日もオカリナを吹く予定はない (ガガガ文庫)

今日もオカリナを吹く予定はない (ガガガ文庫)

ブルマーなんて都市伝説だ。

いったい今、学校の何割がブルマーを採用しているのだろう?
そんな中高生に、ブルマーの良さのいったい何がわかるのだろう?

わかるはずがない。

絶滅危惧種ブルマー
もしかしたらブルマーはすでに、ローターやバイブと同列の性的に消費されるためだけのものとして存在しているのかもしれない。

だが。
そんな、中高生に良さのわかるとも思えないブルマーを。
ローターやバイブと同列に扱われているかもしれないブルマーを。

この小説は、肯定した!
ド頭から、肯定した!
心の底から、肯定したのだ!


現在、ライトノベルの主人公の多くは「エロさを表に出そうとしないキャラクター」として描かれている。
それはなぜかというと、言うまでもなくライトノベルの主人公が感情移入の対象として描かれているからだ。
「人前で目立ちたくなかった」「本気で何かに取り組もうとはしなかった」主人公が、何かのきっかけで目覚め本気を出し、「世界を救う」「ヒロインを救うきっかけをつくる」なんてパターンが多いのは、間違いなく読者の理想像を主人公に当てはめているからだろう。
「エロさを表に出そうとしないキャラクター」も同様だ。読者の多くは「キャラクターといちゃラブしたい」(本音)が「自分のエロさを前面に出すことは恥ずかしいと考えている」(建前)わけであり、その意味でエロさを表に出そうとしないライトノベルの主人公は正しい。去年読んだ『H+P』(感想→http://hishamaru.blogspot.com/2008/11/hp1.html)なんかはまさにそれで、「オレはエロいことなんかしたくない! 不潔!」「でも世界を救うためならエロいことをしなきゃいけないんだ! 南無三!」という葛藤だけで一冊作品を創ってしまったという、まあある意味その本音と建前の究極系なんじゃないかと思う。

そんなライトノベルの風潮の中にあって、冒頭から主人公が「むっつりスケベである」と宣言したこの小説!
ブルマーという失われた幻想へ対する主人公の宣言! 宣言! 宣言!
なんだか自分は心に涼やかな風が吹いてきたように思うのだった……

もうツンデレがネタとしてしか消費できないメタメタなラノベ群の中で、普通なら目を背けたくなる主人公の本音をぶつけていくのは、感情移入を誘う上で有効に機能しているように思う。
このラノベの恋愛に、他のラノベにはないドキドキがほんの少しでも感じられたのなら、その理由の一つに「地に足がついた主人公造詣」があるような気がした。
(ラストの覚醒主人公は既存の文脈に乗りすぎててちょっと……と思うけれど)


以下雑感。
・地の文面白い。
・このハイペースでブン回してしかもエピソードが飛んでる感が少ないのは、語り口の勝利か。今のラノベの主流である映像的な描写ではなく、物語としての描写を利用しているから、単話がこの分量で過不足なく読めるのだろう。
・x6sukeの絵はいいなあ。
・幼女かわいい。
・ストーリーテリングに作者の恣意性が介入しすぎなきらい有。この仕組みはいくらでも物語に困難を作れるので、読者としてはちょっとアンフェアに感じられてしまう。
・不思議ギミックがやや洗練度がないか。赤い人はただのネタとして消費されててもったいない。一升瓶も単発ギャグで終わっている。なんか説明しづらいけど、『ギャルゴ!!!!』のように「なんか意味がありそう」「でもさっぱりワケがわからん!」「シュール!」「の一言で片付けるのはちょっとマズいな」みたいな空気感があれば、作者の恣意性も薄れるのかなあ、とは思う。