ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ヒッチコックの映画術

 

ヒッチコックの映画術(字幕版)

ヒッチコックの映画術(字幕版)

  • アリステア・マクゴーワン
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ヒッチコックの映画についての映画は結構見ている気がするけれども、毎回観て面白いんだよなー。ヒッチコック映画を結構見ていることは前提なんだけれども、それにしても毎回学びが多すぎる。今回も、いきなり扉のシーンから解説が入るとか面白すぎでしょ。『シェイプ・オブ・ウォーター』とかすげえあからさまにやっていたけれども、それをもっと自然にわかりやすくやってたんだなー。カメラを高く置いて俯瞰構図にするのとか、ものの本を読めばごく基本的な技術だと思うんだけれども、やっぱり効果を発揮しているもんだよなー。

ヒッチコックのシーンは印象的なシーンが多いから、章ごとに「あのシーンは出ないのか?」「このシーンは見たぞ!」となってそれも面白い。高いカメラのシーンで国連のあのハイアングルとか、ダリのシュールレアリスムシーンが出た時は、「やっぱり来た!」ってテンション上がっちゃうよね。一方で、「めまい」のグルグルカメラとか、「サイコ」のシャワールームとか、そういう有名すぎる場面を避けてるのは意図的なんだろうなあ。まあ、散々見たしね……

あとまあ、ヒッチコックは本当にグレース・ケリーが好きなんだなーという感じがした。いや、もちろんこの映画のヒッチコックのモノローグは創作であるのはわかってるんだけど、それにしても贔屓よね。当たり前のように映像も美しく撮れてるし。

HOW TO BLOW UP

 

HOW TO BLOW UP

HOW TO BLOW UP

  • アリエラ・ベアラー
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原題には「A PIPELINE」までついてるけれども、このパイプラインって登場人物の繋がりなんかもかけてある言葉よね? ブロウアップ自体が日本人的にはビミョーな熟語なんだから、むしろパイプラインの方を削るのはどーなの? という感じもするな。

過激な環境活動家側の始点から、パイプライン爆破を淡々と描く映画。社会のマイノリティというか、ボーダー側にいる人たちが、危険で過激な行動に身を投じて行く様が描かれている感じだな。環境保護活動みたいなものはなかなか社会でメジャーになりづらいし、そういう意味で社会に多様性は必要なんだろうけれども、その分こういう過激な活動をする人は出てくるよなあ。映画自体は、どちらに正義があるという描き方である感じはせず、ただそうせざるを得ない状況に陥った人々の行動を淡々と描いている感じがして、なるほどなあとは思った。内容的にはだいぶストレートで興味を惹くのが難しい感じもするけれども、動機のカットバックの説明が良いアクセントにはなっていたと思う。

しかしドローンが見廻りしているのが普通に描かれるのは納得感があった。あれで異変があったら警備員が駆けつける、くらいでも、だいぶコストは削減できるし、抑止力にはなるんだろうなあ。

オペレーション:レッド・シー

 

いやー変な映画。『戦狼2』とかもこういう感じではあったけれども、あっちの方が個人の人格によって人間味があったよねえ。この映画はまあチーム戦ではあるんだけれども、それぞれの人格に人間らしさが極限までない。いや、戦いの中で傷つく肉体は確かに人間らしさの証明ではあるので、人間らしさというよりも、人格? 軍隊に忠誠を誓うと、プライベートな部分って全く必要なく、それが何か批判的に描かれているわけではなくて、むしろ当然のものとして描かれている感じ。

映画の敵は中東のテロリストなワケだけれども、相手も単なる娯楽映画の的であり、そこにはなんの人間味も感じられない。まあ、ハリウッドの娯楽アクション映画ってそういうもんだろ、という気もするけれども、向こうってやっぱりどこか絵空事としてのリアリティで構成されてるわけじゃないですか。この映画の過剰に残酷に傷つく肉体でああいうことをやられると、めちゃくちゃ奇妙な感覚に陥ってしまう。

いやホント、過剰なんだけれども、その過剰さをベタに娯楽としてやっている感じが、本当に据わりが悪いんですわ。で、それがラストのプロパガンダまでストレートに繋がってしまう感じ。なんかその据わりの悪さが凄すぎて、むしろそういうところに全く触れない娯楽映画を作ることで、逆接的に国策映画であることを告発してんじゃない? とすら思ってしまいますわ。

ライク・ア・キラー 妻を殺したかった男

 

この前パトリシア・ハイスミスのドキュメンタリーを見て、うーんこの人のミステリは面白いなーと思ってプレイリストに入れてたんだけれども、あんまり面白くないな。まあ確かにテイストは『見知らぬ乗客』とかそういうのに近いんだけれども、しかしネタ自体はそんなに冴えてるわけじゃないよね。ヒッチコックのサスペンスの演出の素晴らしさに思いを馳せてしまう。

まあ、この映画は最初からそういう感情移入でサスペンス! という撮り方ではないから、意図した通りなのかなあ。いやでも真実を宙に浮かせて二転三転させるストーリーは、やっぱりもう少し上手くのめり込ませて欲しかった感じはする。夫婦仲が上手く言っていない辺りに感情移入できると見え方が違うんだろうか。家庭もハイソだしなあ。建築家で良い家に住んでいるのでだいぶ共感が低い。

まあでもビジュアルは確かにハッとさせられるところはあった。室内のインテリアも結構うっとりで、あーこういう家庭には盆栽を置いておくのね、となんか納得。あとジャケットもそうだけど、要所要所でビビッドなカラーが混じってて、そういうところには目を惹かれてしまう。

グリード

 

グリード(字幕版)

グリード(字幕版)

  • ギブソン・ゴーランド(英語版) トリナ - ザス・ピッツ マーカス - ジーン・ハーショルト
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な……なげえ……と思ったけれども、これ元々はさらに長いのか。いやあ……

さすがに今見るとちょっと大仰すぎてたるくなってしまうなあ。映画史上に残る作品であるとは聞いたけれども、うーむー、かなり迎えに行かないとキツいような気がする。ストーリーの展開も、いやまあ確かに「強欲」がテーマであろうけれども、しかしなあ、どうやって受け止めれば良いのかわからんな。宝くじに当たったらこういう悲劇に巻き込まれざるをえないっつーこと? タイトルからしてキリスト教圏の価値観で描かれた作品ではあろうけれども、さすがにちょっと悲劇についていけないところがある。

そもそも女性を譲ることがストーリーの妙味になっているという価値観がちょっとしんどい、というのもあるのかもしれない。いやまあわかるんだけれども、強欲とかそれ以前に女性の扱い方がそれでいいのか? その後の破滅も人間の扱い方が良くないから起こった悲劇じゃないのか? みたいな気持ちになってしまう。うーん、自分が欲望で駆動する世界に飼い慣らされているのかしら……?

喜びの商人たち ~NYクリスマスツリー商戦~

 

うーん、なんかこういうの知ってる感じがするなーと思ったけど、ほおずき市とか酉の市とか、そういう雰囲気だよなあ。一年に一度の商売のために準備してドン! というのはまあ一般的にイメージされるお堅い「仕事」とはだいぶ違うよねえ。ドキュメンタリーに出てくる人物たちも、どこかこう勝負師という雰囲気が満ちていて、あーなるほどニューヨークでもこういう人たちがいるのか……となった。ファミリーというか、のれん分け的なやり方で商売が広がって行くのも、前に聞いた熊手商のイメージ度被るんだよなあ。雇われる人間も、社会の真ん中ではなくて、むしろ隅っこにいそうな人たちばかりで、社会にはそういう役割も必要なんだろうなあ、みたいなことを思う。

ツリーを買うだけだったらホームセンターが安牌という状況で、よくもまあこういう商売が成り立つよなあ。まあ、ホームセンターは遠いし、ネット通販もたるければ、目の前の道ばたでツリーを買えるというのはメリットがあるのかしら。ある程度人口が多くて車で移動しない土地でしか成立しないやり方には思えるな。

あとまあなんか謎の顔出しNGのキャラクターが出てくるのアレなんなんだ。ちょっとキャラが立ちすぎでしょ……

デリシュ!

 

デリシュ!

デリシュ!

  • グレゴリー・ガドゥボワ
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料理をテーマにした映画って面白い作品がたくさんあるんだけれども、うーん、これはそこまで面白くは感じなかったなあ。宮廷の料理人が市井に降りてビストロを作る、という建て付け自体は、普通にエンターテインメントになりそうなものなんだけれども、思った以上にカタルシスがない……歴史的なバックグラウンドと合わせて描けば、これ絶対もっと面白い内容になったよなあ。

そもそも主人公の抱えている問題みたいなのが曖昧なのはあるよなあ。宮廷との微妙な距離感に対して、市民が店に食事に来たことでどんな変化があるかとか、そこから何を得るかみたいなのが、もっと劇的に書かれても良いんじゃないかしら。客が幸せを感じているところ、もっと幸福に描けたと思うんだよなあ。

あと一応恋愛ものというか、運命の女性が現れて行動が変容していく話なので、そこももっと上手く描けそうな気はする。急に馬に引きずられるストーリー展開とか、絶対雑だよなあ。

にしても、そもそもレストランみたいな形式で個別に食事を出すのがひとつの発明というのは、大変驚きだった。そうだよなー普通あんな時間差のある形で食事を提供することって一般敵じゃなかったんだろうなー。ってか、この時代の料理ってやっぱり大変ですよね……映像見てて、衛生とかめちゃくちゃ大変だろうなーと感じざるを得ない。洗い物だってアレ一苦労だよねえ。