ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

幕張

 

幕張 1 (highstone comic)

幕張 1 (highstone comic)

 

Kindleで安かったので買っておいたのを全巻読んだ。

自分ジャンプは買ってなくて読むのも大体単行本化されてからなんだけど、それでも作品中のネタが大体わかるというのはこの時代のジャンプがいかに強かったかの証左でもあるんだろうなー。

にしても下ネタホモネタが多くてびっくりしてしまう。いやまあ『電影少女』とかにドキドキしていた世代ではあるけど、週刊誌でこんなギャグやってたんだなーそうかーすごいなー。ジャンプのギャグマンガで『幕張』の話が出るとみんななんとも言えない絶妙な表情をする理由がようやくわかった気がしました。

しかしまあ、本当に連載がツラかったんだろうなあ。中盤以降、作者がちょくちょく顔を出して色々言い訳するけれど、そこら辺の「ギャグに消化しようとしてはみ出してる感」がヤバイもん。後半どんどんシャレにならなくなってきて、最後に登場人物たちに花とかそれっぽい決着とかつけてやろうとか全く一切これっぽっちも考えていない最終回とか、「いやあ本当に週刊連載やめたかったんだね良かった良かった」としか思わなかった。

いやあ、こわいなあ週刊少年ジャンプ

転々

 

転々 プレミアム・エディション [DVD]

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笑えないなあ。とにかく笑えない。いかにも笑えって感じのところが全くこれっぽっちもというかむしろその押しつけがましさに不愉快な感じさえするレベルで、うーんこれはたぶんオレに合わなかったんだろうなあ。達磨と天狗の鼻の「とりあえず変なモノを詰めてみました」感とか、本当に嫌い。

あと話の立て付けも嫌い。個人の思い出を忍ぶふたり、しかもそこに接点はほとんどないとか、いかにもいい話にしよう、でもいい話一辺倒だとアレだからちょっと外そう、みたいな感じが見え見えでそもそも好きじゃない。

っつーか、途中で何で擬似家族物やってんの? 終着点に向けて移動し続けるはずだった物語のリズムが、突然あそこで停滞して、いやまあだから特別に何が台無しになったわけでもないはずなんだけど、なんかこう「えー?」って感じになったんだよね。なんなんだろうあの奇妙な違和感は。

いやまあしかし、個々の芝居なんかはとても良かった気がするので、これはもう題材とその扱い方への相性の問題なんだろうなあ。もうちょっと笑いどころが合えばなあ。細かなギャグがいちいち「むかっ」としてしまうレベルで、そりゃまあ映画に没入してる場合じゃないもんなあ。

伊豆漫玉日記

 

面白いとか面白くないとかそういう次元じゃなくて、ここら辺のエピソード知ってるよとかそういう問題でもないんだよなあたぶん。老い。思春期に最高に脂がのってて影響を受けたマンガ家が、自分の身を削ってマンガを描いて削って描いて削って描いて描けなくなって、それでもやっぱりマンガに縋ってなんとか人生を紡いでいく、そういうリアルな老い。そういうものを、こういうカタチで見せつけられるのが、もう、なんか、ツラい、ツラいんだけど、でも、目が離せなくて、目を離しちゃいけないような気がして、あと、すごく貴重なものを見ている気もして。

インポの話とかかつての恋愛の話とか出るのがもう本当に息が詰まるんですよ。かつてぱそみちゃんを読んでいたときのドキドキと、それが突然消えて突き放されちゃった時の違和感とがグサーって突然刺さってくるのよ。あーもうなんなんだこれ。なんなんだこのマンガ。前にも似たようなこと言ってたか。まあいいや、うん。

別に他人に勧めたりはしないしできないけれども、オレは買うよ。これからも桜玉吉のマンガを買うよ。

アメリカン・ドリームへのレクイエム

 

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レクイエム・フォー・ドリーム』を思い出して例のBGMがちゃーらーちゃちゃちゃちゃーみたいな感じで流れてきますが違うそうじゃない。アメリカンなドリームへのレクイエムです。

日本のタイトルからはわかんないけれども、チョムスキーのインタビューで、10の項目にまとめて「アメリカンドリームはなぜ死んだか」即ち今大変ホットなアメリカの格差がなぜ生まれなぜ固定されてしまったか、を古典なんかも引用しつつ非常に丁寧に説明した作品です。

その説明が鮮やかすぎて、むしろ「なんでこんな自明なことが今まで問題になってないの?」とか思ってしまう。アダム・スミスとかアリストテレスとか引用する以前に、ちょっと考えればわかることじゃん!

でもその自明な出来事が隠蔽されているからこそ現代の社会があるわけで、まあ本当の悪というのはコントロールしていることさえ察知させないからコントロールできているわけだよね。いや全く以て陰謀論みたいだけどさ。

60年代の世界的な市民運動が起こった後、なぜその動きが衰退したのか……というのは漠然と感じていた疑問だったので、そこが問題であるという認識が正しいのがわかって安心した。『コンテナ物語』で港湾の労働組合がいかにして権利を勝ち取り解体したか、という流れが記されていて、あれなんかは効率化・グローバル化によって労働者にも恩恵があった、という論調で書かれていたように記録されているんだけれども、でもそれってパイがでっかくなっていく時代だからこそ許された話だよなあ、とも思う。グローバル化によって労働組合の効力が弱まっている、みたいな話も、そのまま外国人への恐怖や不安に繋がる話だよなあ。全部繋がってるんだなあ。

いやーなんかトランプが勝ってから立て続けにアメリカの「忘れられた人々」に関係するような作品に当たっていて、「うおーここにちゃんと作品として警鐘が鳴ってたんだなあ」と思う反面、「その作品群は視界の中に入ってこなかったなあ」とも思い、反省しきりでございますはい。

イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密

 

あいやー面白い。時系列をシャッフルがあるので最初はちょっとだけ混乱しそうだけど、ラストまで来るとその時系列が必要な役割を果たしてるのがよくわかる。同性愛の話とか、まあ知識があるから別に驚きはしないけど、前提を知らなかったら大変効果的に誘致される配置だよなあ。数学者の学問モノと思わせといて、実はかなりきちんとしたスパイモノで、そこら辺のさじ加減が非常によろしい。メンバーやらの使い方が大変気が利いていて、MI6も大変良く立っている。主人公が負ってしまう数学者ならではの業が、感情的にちゃんと破局を迎えていて、いやーホントにこれ脚本がいい仕事しているなあ。

あと天才数学者の描き方もすばらしくて、短い台詞のやりとりで「あーこのひと天才だなあ」と思わせるのが大変宜しい。途中で退場しちゃった元上司がちょっとかわいそうになるくらいですね。暗号解読最後のヒントのところや、ヒロインとの破局のところとか、いやー勉強になるなあ。

全体的に地味だけど、とても良い映画だと思います。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

 

またこの監督はこんなけったいな映画を……

全編長回し風で撮られているが、しかしリアルタイムや臨場感のための長回しではなくリアリズムのたがを外すところにこそ主眼が置かれているのが大変面白い。空間感覚を狂わせ人と人の接触を高める舞台周りという装置があるからこそ機能する脚本。まあコレを映像的な工夫で成立させちゃってる時点で、なんかもうすごい。

すごいんだけど、それはやっぱりこの脚本だからこそ必要とされたわけで。飛び降りの辺りのしゃれっ気と、現実との線引きをするときのタクシー運ちゃんの使い方もそうだけれども、あっちとこっちを行ったり来たりする描写がまあ本当に巧みだよなあ。

にしても前半では役者同士のぶつかり合いがメインのテーマだったのに、酒呑んでからはもう完璧に主役の話になったよなあ。あのギアチェンジは大変面白いんだけど、あれだけキッパリ話の色を変えちゃってそれはそれでどうなんだろうか。なんかもったいない気も、しないでもないが、いやしかしバードマンの話だからなあ。そうするしかないのか。よくわからん。

クラゲのエピソードでも明かされるとおり、詰まるところは死に場所を求める男の話ではあって、するとバードマンに別れを告げた主役はやっぱりああなるんだろうなあ、それを娘は祝福するのだろうなあ。

御法度

 

御法度

御法度

 

おもしろーい。そして松田龍平が若い。

別に松田龍平が妖艶とかそういう風には全然思えなかったんだけど、話が進むにつれてバケモノ感が増していくのはすげーよなあ。ラストの心象シーンで光が水面から当たって「うひゃあ」って声が出ちゃったもん。ラストでたけしも桜を切りますわ。しゃーない。

しかしこの脚本の多義性は大変面白くて、考えれば考えるほど真実が霞んでいく感じが大変良い。近藤土方間の関係までに疑念が差し込まれて、それが当たり前の日常に異なる光を当てる感じがヤバイ。そしてその中心にいる松田龍平に説得力が乗るもんだから、いやあこれ作品としてはすごくいいよなあ。

ってかこれ、司馬遼太郎原作なのか。原作でどのくらいこういう妖艶なニュアンスあったんだろうなあ。大島渚の映像と、あとしつこく繰り返され刷り込まれる音楽で、ずいぶん作品の仕上がりが妖艶目に寄せられているような気もするので、機会があったら読んでみたい。でもまあ、近藤土方沖田の関係性を把握してないと、コレあんまりよくわかんない話ではあるのかしらん。