ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

ブルージャスミン

 

ウディ・アレン。たぶんここしばらく見てなかったと思うんだけど、相変わらずだなあ。このくらいの名人芸を見せられてしまうと、今更映画についてあーだこーだいう気にならないというのはあり、いやほんとウディ・アレンを見たなあという感じ。冒頭のCGビックリ具合も含めてね。

編集がすげえ特徴的で、最初は何が起こってるのかなんでこんなめんどくさいことになってるのかサッパリわかんなかったんだけど、あーつまりコレってヒロイン主観脳内の視界なのね。面白く理にかなってなおかつクライマックスがあのタイミングで導かれる構造になっていて、いやはや素晴らしい。

なんにせよケイト・ブランシェットだよなあ。このめんどくさく複雑で危ういこの役柄を、よくもまあこんなに演じられるもんだなあ。映画の中心点としての求心力が全くすごすぎる。クライマックスも彼女のさじ加減ひとつで説得力が段違いなわけで、いやあ圧巻でした。インテリアデザイナーの下りの思考回路とか、つくりがうまいよなあ。

人喰いの大鷲トリコ

 

理屈で言うとすげえ面白いはずなのに全然面白味を感じず困惑している。『ICO』も『ワンダと巨像』もずいぶん楽しめたし、この『トリコ』はそれらの作品で良かったポイントをきちんと分析しつつ、新たなテーマに取り組み、なおかつその新たなテーマに尋常じゃないリソースをつぎ込んでいて、極限までシンプルに削ぎ落とし、だからまあ面白くないはずないんだけどなあ、とは思うんだけど実際面白くないんだから不思議だよなあ。

もちろん操作性の悪さやステージのバリエーションの少なさに不満はあるけれども、それって空中でのアクションにチャレンジした結果だったりあるいはパズルゲームを志向せずトリコとのコミュニケーションを優先した結果だったりしたと思うので、まあそれはしょうがないかなーという気もする。不満はあるけど。

自分が一番気になってるのは「ストーリー性の排除」なんだよなあ。一般的なエンタメのストーリーではなくて、もっと根源的な、「物語」というレベルでの扱いの薄さ。前の作品でもわかりやすい「ストーリー性」は薄かったけど、女の子を助けて迷宮から抜け出したり、立ち塞がる巨大な像を倒したりって、その時点で逃れようのない「物語」が立ち上がってきてしまうじゃない? でまあ、その原始的な「物語」こそが、実はゲームに感情移入する動機だったりするわけで。そういう意味で、人喰いの大鷲との間には、共感できる「物語」が構築されているようには思えなかったんだよなあ。異文化コミュニケーションとしての側面をきちんと描く必要があったんだろうけど、ふたりは「ステージをクリアしている内に」「ゲームの都合で仲良くなってしまった」という印象が拭えない。これがもし、無目的で延々トリコと対話をするような導入だったら、作品における「物語」の捉え方も違ってくるのかもしれないなあ。

クラッシュ

 

クラッシュ [Blu-ray]

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過去のアカデミー賞受賞作品を見返してて、なんかこの年は全然印象に残ってないなー、あーそういえばNetflixのリストに入ってたっけ? と思って見た。別に近年のアカデミー作品賞をあがめ奉ってるワケじゃないけど、なんだかんだ作品賞作品は押さえているので。

作品はいわゆる群像劇で、人種差別に対してのあれやこれやが視点を変えて色んな立場から描かれているんだけど、うーん、ちょっと脚本が厳しくないかなあ。群像劇って偶然と必然のバランスの取り方が難しくて、短期間でいかに作意をみせずに物語を展開させるかというのは重要だと思うんだけど、特に中盤以降の展開がドラマチックすぎてついていけない。中盤で大転換する点として車からの救出劇やるのは、まあ百歩譲って許すとして、でもその直後に扉閉まらず盗難あったら逆恨みで娘を打っちゃうとか、さすがにちょっとやり過ぎでしょう。ついでに何でもない階段落ちまでスローで大袈裟に見せちゃって、うーん、この過剰演出にはついていけないなあ。なんかこう、いかにも奇跡でイイ感じの群像劇を創ってみました、という感じ。

ってか、あー、アレか! 『ポール・ハギス』ってサイエントロジー映画に出てた人か! でも教義とかが作品の中に何か色を落としているのかとかはあんまりよくわからないなあ。アメリカに住んでいるとそこら辺も見えたりするのかしら。

モンスターズ / 地球外生命体

 

モンスターズ / 地球外生命体 [Blu-ray]

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怪獣映画、でありながらも身の丈に合わせた演出でロードムービーをやっていて、その演出プランが大変良い。怪獣の姿はタコだし期待値上げてもしょーがないので、冒頭でいきなりガツンと見せちゃうけれども、怪獣のいる世界の日常の細部を巧みに描きながら、視点者のふたりがモンスターに出会うまでを引っ張って引っ張って引っ張って見せるのは最高に良い。怪獣そのものより、視点者が怪獣にどのような反応を見せるのか、の方に興味があることもあるんだなあ……と感心しました。「志村、うしろうしろー!」的な。あー、視点と言えばこの監督の『GODZILLA』も、かなり視点にこだわった映画だったよなあ。

あとストーリーもポイントポイントがとても良くて、港の一晩の描き方が白眉。物語において決定的な転換点になるあの瞬間を、よくもまああんなに巧みに描けたもんだなあ。ラストのまとめ方はどーなのよ、泣けるほど美しい感じには撮れてないと思うよ、とかいうのはあるものの、いやはや、素晴らしい映画でございました。

 

でもさー、これPOVっぽい作品だよねー主人公もカメラマンだしさー、と思ったらWikipediaにはその旨が記載されていた。うんやっぱりそうだよね最近よく見てるからだけじゃないよね。この視点で物語を描くなら、POVってバッチリ填まりそうな感じがするし、だから逆に「なぜPOVではなくなったのか」ってのが不思議だったんだけど、 http://archive.fo/uDOSb あー、『クローバーフィールド』の影響なのか。あれだけ強烈な作品が出てしまうと、さすがにねぇ……

僕は彼女を攻略できない。 まちがいだらけの主人公ライフ

 

増えてんなーという印象の強いメタラノベ。このジャンルは理不尽設定を押しつけられた主人公がどう振る舞うか、というのが基本的なセンになることが多いけど、その理不尽設定の扱い方って実は結構ナイーブだと思ってる。理不尽設定には理不尽設定なりのルールが必要で、読者に了解をとらずに「作者の都合」で物語を進めるなら、そりゃまあ何でもできるよね、という話。作者の手のひらの上でルールがコロコロ変更されるとして、そこで真剣にキャラクターの行動に感情移入ってできる? オレは無理だなあ。

「ハーレム」という言葉の多義性から物語を転がすこのメタラノベは、ある意味でそういうルールの扱いに対してきちんと向き合っているので、安心してみられる……のかなーと思いきや、後半の展開で考えを改める。

周囲の人間が巻き込まれるメタきっかけの障害が書き割りで終わってしまうのは、まあある種のギャグとして処理できるかもしれないけど、ラストでハーレム主人公がハーレムを成立させるための障害の超え方が、主人公の心意気ひとつでオッケー本気出せば世界から祝福されるってどーなのよ。「心意気ひとつでハーレムが成立してしまう特徴なし主人公」がハーレム物として正しいと考えてそれに沿ったというなら、自分はそういうジャンルに「全然面白味を感じない」と答えるしかないなあ。形式から導き出された結論に到る前に、もっとキャラクターに感情移入するエンタメをしてもいいじゃん? と思う。

 

でまあ、作者の過去作見たら、あー『集団美少女戦士キューティー・パンツァー』の人じゃねーか! 言われてみれば確かに納得。あの作品も、形式から導き出された妙なドライブ感が合ったけど、ラストで上げたハードルを「いやそれ超える必要あんの?」って普通の結論に最短距離でゴーしてた気がする。

ソシャゲライター クオリアちゃん -恋とシナリオと報酬を-

 

 

ソシャゲは好きですか? ぼくはあんまりやってません。

anond.hatelabo.jp

っつーことで、増田で触れられていたので読んでみた。

 

あー、憐れだなあ。憐れ。本当に憐れ。憐れとしか思わない。

 

いや、まず根本的につまんないんですよこれ。ああそう、ここをこうしてこうしてこうしたいのね? あーそうプロット通りに書いたのね? で? だから何? って感じ。熱い話? いや、まあ、熱い話にしたいんでしょうね。その作意はきついほどに透けて見えるよ。でも、作意が見えるのと、実際に熱いと感じるかは別だよね? だから巻末の推薦文も「熱い!」としか書けないんじゃないの? 

 

togetter.com

 でね、思うのはね、ソシャゲでそんなに箔がついているライターが書いてコレなのかってことで。これで面白い作品だと思ってるのか。売れないのは作品のせいではなくて売れるための方策の欠如だと思っちゃってるのか。マジか。正気か。アマゾンレビューとかも変な感じだし、誰かちゃんと言ってあげた方がいいよ。この作品、普通に詰まんないよ。ほんとに。

 

 

さておき。

作品の最後に描かれるんだけど、読者を喜ばせることよりも、クライアントに評価されることの方が価値ある報酬として機能してるのね。シナリオへの対価がアップすることがわかりやすい目的になっちゃってる。いいよね数値化される評価って。彼らたぶん、ユーザーにどのようなゲーム体験でシナリオが届くかとかにはあまり興味なくて、重要なのはソシャゲ製作ってルールの中でどれだけ有用な駒になるかってことで、それ以外の価値観は重視されてなくて、作品単体の面白さとか基本問題にならないの。びっくりするくらいどうでもいいの。

例えば、主人公がヒロインに啖呵を切って「自分一人でシナリオを完成させる!」って誓った最後の山場で、でも結局締切に間に合いそうにないときに、ヒロインに頼っちゃうのね。アレだけ必死に願掛けしたのに、あっさりそれを翻しちゃう。それがなんでかというと、この作品の世界では「締切を守ること」が絶対条件なの。曲がんないの。「クライアントに泣きついて、締切を延ばしてもらって、それでも作品のクオリティを上げる」とかは想像力の範疇を超えるの。そこまでして良い作品を追求することはありえないの。時間を戻すなんて超常現象を持ち込んでも、守らなければならないの。不可侵なの、締切。

 

「ルールに適応してやれるだけのことをやること」と、「面白い作品をユーザーに届けること」の間の距離が、絶望的に、広い。

でも、作品の中で、その距離は問題にすらされていない。

 

シナリオライターが普通に持っている技能を臆面もなく「超能力」として描いて、突然繰り出されるキャラクター大喜利に反射神経で答えることを最適解にして、ギリギリで提出したシナリオのデキを主人公たちは肯定して、それが世界に祝福されてるんだもん。そういう価値観を善として作品全体が描かれてるんだもん。実績のあるソシャゲライターがソシャゲライターのあるべき姿として記してるんだもん。

作品の善し悪し以前に、もうね、憐れすぎるよ。コレを信じて作品を書いている人がいるのなら、オレはもう何も言えないよ。ただただ憐れみの視線を送るだけだよ。それだけしかできないよ。

 

いやさ、こんな仕事するくらいだったら、主人公は真面目に勉強して公務員なってクオリアちゃんを食わせてあげなよ、マジで。

イギリス近代史講義

 

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

 

言い方がどこもかしこも留保に満ちていて、いやまあそれは確かに学問上は正しい態度なのかもしれないけれども、読んでいる方としてはもう少しなんかこうはっきりとしたことが聞きたいなあ、とか思ってしまう本だった。優しい説明で色んな説を取り上げられても、その面白さの滋味はやっぱ専門家じゃないとわかんないんじゃないかなあ。

内容はあっちに行ったりこっちに行ったりで、いやまあしかしそれも面白いんだからそれはそれでいいのかしら。しかし栄光と衰退の歴史を現代の日本から見ることで……みたいな冒頭の感じとはずいぶん違った場所に着地したような感じはします。いやまあ面白いんだけど。

近代史という括りで産業革命前後の流れを描いているのだけれども、うーん、やっぱりジェントリってのがイマイチ良く理解できてないんだよなあ。イギリスの本を読むときはそこら辺の感覚をもう少しきちんと身につけた方がいい気がする。

しかし暦の話とか中国との対比とか、今まで色んな世界本で見かけた知識が繋がっていくのは快感である。