ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

バグダッド・カフェ

 

バグダッド・カフェ 完全版 [DVD]

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いやー良かったやっと観られたー! 絶対押さえとかなきゃいけないのはわかってたんだけどどーも観る機会がなかったんだよね。いわゆるミニシアター系のアレ。

ボンヤリ見てるとなんかよくわからないドイツの異邦人がなんだかギスギスしているはぐれ者の集団の中にポーンと放り込まれ、なんだかよくわからないうちに彼女の徳が皆の空気を変える話、みたいな感じになりそうなんだけどそれがギリギリのところで踏みとどまっているのが面白い。最後の方で脈絡もなく刺青のおねーさんがいなくなってしまう辺りとか、あともちろんラストの対処の仕方とか、ザ・ハッピーエンド! っぽい流れでもビミョーに外してあるよねコレ。

そもそもサイレントで表現される気取りすぎたオープニングで、あのドイツのおばちゃんはそれはもう「えーっ」って感じで描かれているわけで、それが掃除ひとつで聖人の階段を駆け上がるのはなんかこーおかしいよねやっぱり。脱いでく辺りの描き方でもそう思ったんだけれども、彼女には彼女なりの内面がきちんとあって、それが言語的障壁とあのデカい肉襦袢の中に閉じ込められてて、類型的な物語として語られることを必死に拒んでるんじゃないのかなあ、なんて思いました。

しかしねー、マジックが文字通りストーリー上のマジックとして機能するのはまあわかるんだけど、この映画でむしろ大事なのはたぶん「掃除」なんだよなあ。掃除がはぐれ者集団の怠惰な日常に潤いをもたらす。あー、なんて偉大なんだろう、掃除。

女囚701号 さそり

 

女囚701号 さそり [DVD]

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ああ……監督変わったのか……ああ……そういうことか……

いやあ別に長谷部監督が良い監督かどうかというとちょっとそれはわからんなあという気がするんですよ。話のつくりとか結構行き当たりばったりだし謎演出も生きてるかよーわからんし。わからんのだけど、でもこの映画を観ると、このシリーズはやっぱり長谷部監督が作った物なんだなあ、って思います。はい。

いやまあそこそこ研究している感じもして、恨みの対象を創り出すところからはじめて復讐譚にしている所とか、謎演出が度々カットインされたりとか、あと2作目で大変素晴らしかったあの黒づくめを復活させていたりとか、要素要素は「うんうんそれそれ」ってのが揃っているんです。ちゃんと囚人にも戻るしさそりっぽく見えてもおかしくない作品だと思うんです。

でもなー、なんか違うんだよなー。画もむしろ理にかなってて好感持てそうなもんなんだけどなー。最初のウェディングパートでの殺陣でも、全然梶芽衣子がさそりっぽく見えないもんなあ。確かに前作ではやり過ぎだったかもしれないけど、でも、根本的にさそりへの畏怖みたいなのが足りてないようなきもなんとなくする。

女囚さそり けもの部屋

 

女囚さそり けもの部屋 [DVD]

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そして成田三樹夫の登場である!! 冒頭から成田三樹夫の腕がチョンパである!! うひょおおおおおおお!! 墓場で切った腕を咥えてガリガリガリガリ!! さそり! さそり! さそりいいいいいいい!!

あ、はい落ち着きます。もうこの頃になるとさそりの存在は一種抽象のレベルにまで高まっていて、ある種の呪いとか人間が生まれながらにして持つ原罪とか貞子とかそういう類のものになっており、自分では手を下さないラストの復讐シーンとかはもう素直に脱帽ですはい。地下水路にガソリン撒かれて火を付けられても「ざばあああああ」無傷! やばいやばいやばい。そりゃあ隻腕といえども成田三樹夫の敵ではありませんわ。

しかし知恵遅れの近親相姦までバシッと描いてしまい、もうこの話これ以上どーすんの? って感じ。前作で宿命のライバルキャラを徹底的にやったり、ほとんど主役にしゃべらせなかったりで、映画としてはもうやりきった感じもあり、だから正直本作の地下水路に閉じ込められるパートとかはまださそり度が足りないなー、とか思ってしまう。なんだろう、さそりが恨みを向ける対象が足りなかったのだろうか。刑務所の知り合いを出したところでたかがしれてるからなあ……

女囚さそり 第41雑居房

 

女囚さそり 第41雑居房 [DVD]

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あー美しい。なんと言っても梶芽衣子が美しい。なにこの美しさ。すごいんだけど。そらタランティーノもゾッコンだよ梶さん。すごい。悶える。水に濡れたり走ったり和服着たりと様々美しい梶芽衣子を堪能できるこの作品ですが、白眉はやっぱりラストの復讐シーンの黒づくめで、あまりの素晴らしさに絶叫してしまった。なんなのあの格好。素晴らしすぎない? ねえ? なんなの? ねえ? なんなの?

そして梶芽衣子は喋らない。徹底的に喋らない。こんな台詞を喋らない主役は今だかつて存在しただろーかってくらいしゃべらない。ただ目で語る。それで全然保つ。保つどころか吸い込まれてしまう。引っ張って引っ張って引っ張りまくっての「あたしを売ったね」ぎゃあああああああああああああああ!!!! しびれるううううううううう!!!!

前作ではややストーリーがめんどくさいというか、あっちいったりこっちいったりの感じがあってどーも好きになれなかったけれども、今回は大変わかりやすい脱走劇でその点も大変よろしい。途中に挟まる不思議謎演出も慣れた、というかむしろこのくらいやってくれたほうが安心する。ベベン!

しかしこのシリーズタイトルの順番がくっそわかりづれーな。

ゴースト/ニューヨークの幻

 

色んな映画の教科書的な本でちょこちょこ出ていたので「すごいんだろうなー」と身構えて見始めたら、アレコレ結構俗というか、B級クサい話ではないでしょうか? 主要な登場人物を最低限にしてストーリーもかなり偶然性に頼る部分が高くそして何より題材がゴースト。

CGで対象をすり抜ける、というのが当時映像における大きなワンダーであったのだろうことは想像に難くないけれども、今観ればその驚きって全然どうでも良いわけで、もしかしたらそこらへんがB級っぽさに繋がっているのかなあ。こういう話のつくりだったら、いっそ終始「見えてない体で」、演劇とかにしてもらった方がいいんじゃないのかなあとさえ思う。

にしてもヒロイン泣きすぎで、全体のストーリー設計が雑だよなあと思う。視聴者にとって「愛する人が見えないヒロイン」という立ち位置はすげー美味しいはずなので、愛情をこんな大安売りしちゃいかんのじゃないかなあ。だがウーピー・ゴールドバーグは大変美味しい役を美味しく演じていて大変良いと思います。名前と身体と顔が得。

あ、あと例のろくろシーンは素晴らしいですね。パロディされるだけのことはある。目を瞑っての再会シーンも大変良いのだけれども、あの後焦点シーンが見えちゃうのはちょっともったいないかなあ。

激突!殺人拳

 

激突!殺人拳

激突!殺人拳

 

わははははははははは!! すげえ!! なんだこれ!! サニー千葉の出世作なのか! いやあ! いやあ! いやあすげえ!!

正直なんでヒットしたのか全然わからなくて、ストーリーなんてあってないようなもんだし殺陣もイマイチアイディアに乏しいように思えるし登場人物の芝居もできているようには思えない。突然強いチビ館長と差し込まれる回想の唐突さには「ドッヒャー!」だし、偶然すぎる兄妹の再開は「わっはっは」だし、バイクで突っ込む取り巻きくんは「え、何したかったの?」って感じ。ってかたーれんたーれん言ってんのね。ダーリンかと思ってすわホモかと。ラストのどうでも良い感じはマジですごいよね。え、コレで終わりなの? っていう。

でもまあ、そんなこんなも千葉ちゃんの説得力の前では全部吹き飛んでしまう。なんなのあの顔。なんであんなに顔濃いの? ブルース・リーの5倍濃縮くらいの顔芸に完璧にノックアウト。関根勤しか知らんかったので「いやさすがにモノマネ盛りすぎでしょう」とか舐めてたんだけど、盛ってるどころかむしろ足りない。全然足りない。そしてその表情から繰り出されるあのなんだかよくわからない身体動作! ぱっと見全然強そうには思えないしかっこよくもないんだし説得力もないように思えるんだけど、それを全力でドカンとやられるともうスクリーンに釘付けになるしかない。いやほんとなんなんだ千葉真一。すげえな。

キングコング

 

キングコング [DVD] FRT-032

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映画を観ながら絶叫。舐めてましたすみません。いやあ、信じられないくらい素晴らしい映画だなあ。『髑髏島の巨神』とか観てる場合じゃないよマジで。ピーター・ジャクソンがリメイクせざるを得なかったのがようやくわかったわ。

技術は進歩して今やCGは現実と見わけがつかないけれども、しかしどこまで行っても技術は技術であり、何のために用いられるかが定まってないと映画の面白さには貢献しない。ピーター・ジャクソン版は溢れんばかりのアイディアを息もつかせぬ間にドンドコブチ込んで、秒辺りの濃厚な味わいでスカルアイランドを見せて、それはそれでPJっぽいなあとは思うんだけれども、初代のキングコングの方針には心底参った。これでもかとアイディアを詰め込んで使われるストップモーションとスクリーンプロセス! 巧みな人間のアニメも織り込み、オブジェクトが現実とストップモーションの世界を横断し、時にはストップモーションの中に現実の映像を流し込み、スクリーンのこちら側とあちら側の境界を破壊する! 何のために? もちろん、キング・コングがスクリーンを飛び越してこちら側に襲いかかるためだ! キング・コングは無力な人間を蹂躙する災害ではなく、スクリーン越しにこちらを脅かす道化で、だからこそ表情はぬいぐるみで表現される。あくまでもその身体は人間の想像力を超えない範囲に止められており、エンパイアステートビルに登ったコングはあまりにも小さいのだ。

ってか、今までは正直なんでコングがNYにやってこなければならないのかイマイチよくわかんなかったんだけど、この映画観てこれ以上ないくらいに実感したわ。異郷の地で暴れ回るコングを、現実のNYで暴れさせるなんてもう映画としちゃあこれ以上ないくらいにグッとくる展開じゃん。鉄道を破壊し電車を覗き込むあのコングの瞳! そらジュラシック・パークも真似したくなりますね(最悪のデキだったけど)。

そして悲しすぎるほどに悲しいラスト――なんだけど、そこで見るべきはやはり「移動する」カメラという抜群のアイディアだよなあ。それまで固定されていたストップモーションのカメラが、飛行機という視点を獲得することによって縦横無尽に動き回る! 動作が激しい飛行機だからこそ、アニメの整合性への希求が緩められ、破綻スレスレの映像がクライマックスへと向かう物語を協力に牽引する!

いやもう、技術と物語の融合をこのレベルで見せられてしまったら、映像の新しさとかどうでも良いですよ。久々にワンダーを見せつけられた感じですはい。