いやまじでさー、最後のドリーバックのショット、さらに引いて周囲にいた友人たちが妄想だったという解釈ができるようにしようぜ!! そうしたらそこでやっと、アイドルとはそこまでの狂気を孕んでまで自己を肯定しなければ成功できないヤバい奴らだっていう話であることに納得できるから。
っていうかさ、あそこで皆が集まって再び話に来るシーン、あれやっぱり変だよ。あそこで和解が起こってしまうような生っちょろい破綻じゃないでしょ。そしてその破綻を修復できるほど主人公が友情にコミットしている描写ゼロでしょ。あれは、一応自分は「他人の心を蔑ろにした悪い人間である」というポーズをとれば、主人公が物語という枠組みの中で祝福を受けて良い、という作者の世界観の表明にしか過ぎないよ。彼女が周囲の人間を蔑ろにしたその罪が、あんな受身の謝罪で濯がれても良いなんて、それはアイドルという欲望に魂を引き寄せられすぎた狂人の発想だよ。っていうかなんであの直前に、過去の自分が実は誰かの支えになっていたみたいなカッコで、自己肯定感を高める展開があるんだよ。ヌルすぎるだろ。
でも、映画って集団作業なワケで、良識のある人間ならあんなヌルい展開で主人公が祝福される展開に違和感があってしかるべきじゃないですか。そのギャップを、最後の友人たちが妄想である可能性があることで示せば、これはもうめちゃくちゃ傑作になったんじゃないかとオレは思うわけですよ。だから本気で画面の前で祈ってましたよ。幻であれ! 幻であれ! って。
