うーむ、チベット関係を漁っているんだけれども、なんなんやこの映画は? わからん……映画が作られた当時のチベットのことを考えると、そもそもこういう山深いところに異教の都がひっそりとある、みたいなシチュエーション自体がエキゾチックで魅力的だったのかなあ? ニューエイジとかの時代なら精神世界があーだこーだってなるのかもしれないけれども、1937年でしょ? いやー、わからん……
っていうか冷静に考えると、急にハイジャックされて不時着で命が危機にさらされてる時点で、それが陰謀だと知られたら、こんな悠長にしてられるもんじゃないよなあ。まして弟は命を失っちまってるわけでしょ? なんかこう、人間の常識とか理性とかを狂わせる、禍々しい力があるって感じる方が普通なんじゃないかしら?
あとまあ、乗客が皆郷愁を抱かなかったり、家族への愛情に迷わなかったりするのが、なんとも不思議なところだよなあ。シャングリラが理想郷として描かれている一方で、そこに連れ込まれた乗客たちも外の世界に未練がないのは一体何なんだ。全体を通して一体どういう目的でこの映画が作られて、どこら辺が理由でヒットしたのか、全然想像がつかん……