うーん、相変わらずけったいな映画だなー。
一番でかいアイディアは「ヒーローはヴィランを必要とする」のでヒーロー自体をなくしてしまおう、みたいなところだと思うんだけれども、それってそもそもがエンターテインメントや人間の世界認知が孕む問題なので、ヒーローを消したところであんまり意味ないような気がするのよねえ。ってかそれ自体が映画自体が持つ宿命をメタ的に指摘してる話じゃん? そこら辺に対して、シャマランがどういう態度を示しているのかが、俺にはあんまりよく理解できなかったなあ。そしてまた、ヒーローの存在を外部に知らしめたところで、それが希望になる? 結構虐待やらトラウマやらの現実と地続きの問題がヒーローのきっかけにされているシナリオになっている以上、それを前述の枠組みの中で肯定しちゃう、みたいなのはなかなか難しい感じがして、のれないなあ。
しかしまあ、それまで「なんかヒーローの能力が地味じゃね?」とは思っていたけれども、まさかその三部作目で「ヒーローなんて気のせいですよ」っていうための伏線だったとは思わなかった。いや、伏線だったから評価できる、とかそういうワケじゃないけどさ。こういうストーリー展開にするための必然だった、ってことね。
いかし映画はジェームズ・マカヴォイの独断場、って感じだなー。ふたりのビックネーム押しのけて真ん中に置かれるのも宜なるかな。