人魚姫がモチーフになっているが、これは当然泡姫=ソープ嬢の比喩だろう。津波が年を襲うビジュアルが挿入されるからには震災の物語であることはほぼ間違いなく、これはつまり震災(コロナ禍)によってかつての故郷を追い出され、東京でソープ嬢として生計を立てざるを得なかった貧困女性の問題を、パルクールアクションに仮託して紡いだ作品に違いない。
そう考えると俄然納得いくのが王子様である。原作の人魚姫はいきなりキスしたりしないと思うんだが、このアニメでは序盤から惜しみなく主人公とヒロインをちゅーさせており、急に山場を持って来ていったいこれはなんだと普通は訝しむ。が、これを特殊浴場内で行われた自由恋愛の比喩と解釈することで全ては合点がいく。推察するに、王子様は彼女の幼馴染みであり、田舎から東京に出てきて起業を成功させ、現在タワーマンションで悠々自適な生活を送っている。気まぐれにやってきたソープで偶然幼馴染みに再会するが、しかし彼はヒロインのことに気付かない。彼女がその時受けたショックが、東京中のタワマンを破壊させるあのビジュアルに結びついたのだろう。
そう、この作品の根底には、はっきりと貧困と格差の問題が流れている。勝利のパーティーで彼らが口にするのが出来合いのスナック菓子であることに、自分は涙を禁じ得ない。我々が享受できたかもしれない豊かさは、高度経済成長のシンボルであった首都高や鉄道や東京タワーとともに、バブルに呑まれ海底に沈んでしまっているのだ。
ここまで来れば、もう答えは出たも同然だろう。この作品は、生活に耐えきれず大量の薬物投与によって自ら命を絶ったソープ嬢が、人生の最期に見たうたかたの夢なのだ。要所要所の「美しい光景」がまるで地方のデパートの催事場で行われるラッセンのイラストのように見えてしまうのも(サイケデリック!)、合間に急に挟まる紛争のビジュアルと平和への願いが唐突に思えるのも(スピリチュアル!)、文化的な貧しさが彼女の想像力を削いでしまっていることから導き出される当然の帰結だ。
息絶えた彼女の枕元に、待機時間に読んでいただろう『弱虫ペダル』が積まれているところまで、オレにははっきりと見えたのだが、あれは果たして幻だったのだろうか。