ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

シアタープノンペン

 

いい話にしようとしているのはわかるしそういう題材なのはわかるんだがしかし映画として面白いかというとそれはちょっと……というところはあるな。フィクションが挟まって現代に接続して人々が救われるという構造自体がそんなに悪いわけではないと思うんだが、しかしあまり映画になってない感じがするのはなんでだろうか。不思議な感じである。いやまあ話の筋としては確かに大体成立しているとは思うんだけれどもなー。娘の視点でクメール・ルージュの悲劇が追体験される、という構造も確かに納得で、うーむー……なにがこんなにピンとこない原因だったのかがよくわからん。最後にアレだけの人が集まって最終巻が上映されるのも確かに納得の構造のはずだしなー理屈から言うと。

あるいはクメール・ルージュの非道さみたいなのがちょっと紋切り型だったのかしらねえ。娘視点で語ろうとするときに、回想シーンが劇的になってしまうのは仕方ないとは思うんだけれども、あれもう少しリアリティのある描写でもよかったのかなあ。

あるいは映画の役割が、ちょっと上手く機能していなかったということなのかもしれない。恋愛結婚が成立するべきであるという物語の倫理を描くはずだった映画が、最終的にどういう意味づけの場所へと着地するのかが、混乱しているんじゃ? みたいには思う。それって「映画を破棄しろ」というクメール・ルージュとの関係性においてはどのような役割を担うの? みたいな。