ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

プリティ・ウーマン

 

今、Netflixの「ボクらを作った映画たち」を見てるんだけれども、取り上げられる映画もまあ大体見てるんだけれども大体記憶が薄れてる。特にこの映画とか、見たのが太古の昔だったもんで、うーんこれさすがに見直さないとドキュメンタリー見られないなー、と思って久々に鑑賞。その後すぐ「ボクらを作った映画たち」を続けたから、感想的にはその内容も入ります。というかこの間見た「マイ・フェア・レディ」も、実は「ボクらを作った映画たち」で取り上げられていると勘違いして見たりしたのだけれども……

構造的には「マイ・フェア・レディ」と似ているところがあるけれども、内容的にはもっとクレバーというか、きちんと問題点が様々クリアされていて良いことですね。ただ立場が対比されているのは理解してたけど、「ボクらを作った映画たち」見るまでは「資本家vsラストベルトの被害者」みたいな構図があるのには気づかなかったのでもう少しちゃんと見ないとダメだなーと思う。

いやしかし、しかしだね、そうやって考えると最初の脚本のエンディング、「彼と別れてディズニーランドに向かう」ってのは、まあ根本的には正しい物語の落とし方だよなー。経済原理的なものから逃げ出すことはできず、シンデレラになるためにバスに乗ってディズニーランドに行くわけでしょ? この映画はそこら辺を「ハッピーエンド」の魔力で騙しているけれども、根本的には「夢は覚める」という問題があって、本の脚本はきちんとその問題に向き合おうとしていたわけだよね。ぶっちゃけオレ、ラストはリチャード・ギアが迎えにこずに、勉強し直すエンディングに来て欲しいなーと思いながら見てたもん。

まあ、そこら辺の落とし所を探りきれない題材だからこそ、3種のテイクをとって編集する、という進め方が必要だったのかもしれないなーとは思った。いやホント、確かにバランス感覚が絶妙な内容であるとは思った。