ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

マイ・フェア・レディ

 

久々に観たけど、今だとプロットが途中で力尽きたようなストーリーにしか思えないな。男性優位の階級社会で女性が上流階級の文化に飛び込んで……という図式自体は大変正しく、ヒギンズ教授が明瞭に人間として欠陥があるキャラクターとして描かれており、ピアス夫人を用いることによって、そこに対する目配せがきちんと行われているのはとても良いと思う。なるほど、こういう視点があるだけで、フィクションの中で偏見を描くことが、めちゃくちゃ安心できる感じがある。

のだが他方、「そこに自覚あるならこんな落とし方にすんなよなー」という気持ちがめちゃくちゃすごい。結局ヒギンズ教授が、自らの恋愛感情を認めることで、イライザが帰ってくる構造になっちゃってるじゃん。いやまあ道具じゃなくて恋愛対象であることを気づくのは、必要なステップだろうけれども、「独身貴族でない自分を認める」ことだけでオードリーが帰ってくる展開は、さすがにちょっとそれまでのストーリーの積み上げを無視しすぎだよなあと思う。あと、根本的に階級社会に対する批判みたいなのもヌルッと回避されていて、そこら辺も猛烈に気持ち悪い作品に放ってしまっているよね。慈善で回る社会というのはわかるんだけれども、それってそもそも手放しで誉められたもんじゃないみたいな、根本的な問題にむきあってねーよなーという感じはスゲエする。

しかしそれもこれも、花を売ってた頃のオードリーがめちゃくちゃかわいかったのがあるのかもなー。いやまあ、素敵な服を着ているオードリーも悪くはないんだけれど、「アー!!」って叫ぶ彼女がもう美しくてたまらんっつーか。全体を振り返っても、荷車の上り下りがめちゃくちゃよかったよなーと思う。

しかし、ロンドンの花売りというか野菜市場というか、貧民の象徴だったんだなー。「カラーで蘇るイギリス」みたいなので出てきたけど、なるほど、そういう意味があったのかーと今更思った。