ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして

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いやーなるほどー。最近ネットで見る「トランスジェンダー役にはトランスジェンダーを」というのはこういう動きがあってのことなのね。労働問題という側面で擁護されることが多かったような印象だけれども、純粋にそういう側面だけとも言い切れないやつだよなーこれ。

トランスジェンダーの立場なので、自分の価値観から見て「それってトランスジェンダーだからという切り口で良いのだろうか?」という所は正直ある。でも自分がこういった人物やカルチャーと距離がある以上、そういうギャップがあるのは当然のことだろうし、またない方が不自然であるよなーと思う。というか人間、「良い映画だった」という印象に、現実の規範が引っ張られがちなのは当然だよなー。

そしてまた、トランスジェンダー差別の問題は例によって「国民の創生」の黒人差別当たりから語られており、フィクションが当然現実に影響を与えるという前提で話が進んでいるのが、まあ当たり前なんだけれどもだいぶ距離あるよなあ。いやマジで、例えば初めて外国人と会ったときに、それまでフィクションで学んだ規範をそのまま現実に適応しない理由がないよね。そしてそういった過ちを犯さないための方法が「トランスジェンダーを扱った表現の数を増やす」というのも、もうそうだよねーとしか言いようがないよね。きちんとした接し方がわかって初めて、誤った接し方もわかるわけで。フィクションの中で犯罪が許容されるってのはそう言うことでしょ?

しかしなー、映画ってのはホントにアメリカの神話なんだなー。遡ってトランスジェンダーの表現のされ方の歴史を見せられると、今ここにいる自分たちを物語として語ることの重要さというのをすげー感じさせられるぜ。なるほどなあ……