メリル・ストリープとクリント・イーストウッドの不倫話で、あーなるほど回想から入るのねやっぱりイーストウッドってこういう形式をちゃんと使おうという意識があるよなーと思いました。しかしそれ以外に脚本的にはこんなドストレートで良いの? と思ったり思わなかったりするものの、まあしかしドストレートを投げ込みたかったからこそこの内容なんだろうなー。
内容的には、メリル・ストリープはやっぱすげーなーというかんじで、しかもやっぱりこの役者女性の権利運動に関わる役柄をたくさんやってるもんで、まあそこら辺のニュアンスをコッチ側が一生懸命汲み取っちゃうよなー。イーストウッドはイーストウッドでアメリカの男らしさの象徴みたいなキャラだし、このふたりが不倫を行うってのはまあ確かにメタっぽい意味でもなかなかエキサイティングではあるのかしら。
そういう意味では全体的に整合性がばっちしとれてる、という判断で良いのかしら? いやー、普通の芝居だったらあの突然切れるメリル・ストリープのパート、かなり危ない脚本だよねー。そこがなんかすげー納得できちゃうのは、それまでの細部の積み重ねなんだろうなー。