ガチラノ

死ぬほどどうでも良いわ…

アベンジャーズ/エンドゲーム

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当然ネタバレアリで行く。ちなみに関連作品は、数えたところ6割くらいみてる感じかしら。

映画としては全然合格だと思う。この長尺をちゃんと飽きさせずに見せてるのがまずえらい。最初はギャグなしでつらいなーとおもったけど、タイムトラベル周りの辺りから軽快さも戻りつつ安心して観ていられるデキ。マーベルは本当にいい仕事をしているなー。

そして何より中盤の複数に分かれてタイムトラベルパートが大変よろしい。これまでの積み重ねがあったからこそできる演出はやっぱりグッとくる。世界観が全く異なるようなシーンがクロスカッティングで進む一連のシーンは、うーんマーベル映画ってすげーなーとひたすら感心させられる感じ。当時の自分たちに出会うパートも、まあベタといえばベタであるけれども、あそこまでちゃんと仕上げてもらえれば全くなにも問題ないですはい。

タイムトラベルについての理屈とかは、まあ色々あるけど大体どうでもいい。一番大変な「タイムトラベルがありえる世界であることの描写」を、「アントマンがしちゃったから」ベースで正当化しつつ、リアリティ側の重しであるトニー・スタークを「臆病になっている者」として描くことで、問題のすり替えをちゃんと行っている。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のタイムトラベルを馬鹿にするところとかはイヤイヤイヤと思ったし、「元の世界線に戻って石を返せばオッケー」みたいな泥縄式の説明は止めとけよって感じだけど、まあ大体そのくらいのリアリティで描かれてるんだなーということがわかっておおよそオッケー。

でもさ、トニー・スタークの娘についての理屈の構築は絶対NGだよね。なんで「娘は絶対失わない」なんて都合のいい未来の作り方が許されるわけ? そこって完璧に「それまで正義のための代償を甘受してきたトニー・スタークが、家族を代償として捧げられるか」っていうシリーズにとって大変大きなテーマで、その点でいうと前作のサノスはスタークの延長線上の立ち位置だったし、『シビル・ウォー』とかはそこらのテーマが原因でキャプテン・アメリカとも袂を分かったんじゃなかったっけ? 俺の理解が間違ってる? タイムトラベルギミックが導入されたとき、俺は『素晴らしき哉、人生!』思い出しながら、「あーだからこの5年で社会は全く復興もせずに失敗したものとして描かれてるんだな。その中で唯一失いたくないものを持つのがスタークという描写なんだな」と思ったし、スタークがメビウスの輪をひっくり返したとき、それに娘が声をかける描写とかはめちゃくちゃ痺れたんだよね。あの演出されたら、あの純粋無垢な娘を失うことを認められるかどうかってテーマになると普通思いません? 思うよね?

いやもちろん犠牲にしない未来の作り方を追求するのはエンタメとして正しいと思うけど、だったら「いかにしてそれを成立させるか」は映画全体で苦労しなきゃならないところじゃん。石を手に入れたら誰も犠牲にせずに未来を掴めるとか、前作と積み重ねてきたテーマを完璧に足蹴にしているようにしか思えないんだけど。そこら辺、造詣の深い人が観たらもうちょっと違う解釈になるのだろうか?

まあ、自分のこの映画に対する「それでいいの?」って部分はそこら辺に原因があると思うんだけど、『インフィニティ・ウォー』ではサノスという悪役を薄っぺらにせずに、娘を犠牲にすることに涙を流すキャラクターとして描いたわけじゃないですか。世界の半分を殺して半分を救うというのは、一見大変馬鹿げた思想のように思えるけど、つまり「何かを犠牲にして最大の利益を得る」という全体主義的な思想の戯画化というか、極大なわけで。そもそも異星人であるのだから、我々に理解できない行動原理をするキャラクターがいることは受け入れざるをえないのもあるけど。

で、そんな「異物であるが簡単に悪と言っていいのかはわからない」存在として人類に立ちはだかった前作のサノスが、今作では情状酌量の余地がないただの悪役として描かれてるんだよね。それって逆に言うと仲間がテロを喰らって家族を失ったからで、それを描きやすくした建て付けにしか思えないんだよなあ。それってテーマとしてだいぶ後退してません? 余りにもアメリカンな展開で、自分は「こういうのはキツいなあ」という異物感を終始抱えながら映画を観ておりました。

まあ結局のところ、トニー・スタークが自分の息子たるピータ・パーカーを失ったのが悪いよね。あれがきっかけで家族を失うことの辛さに気付いて、キャプテン・アメリカと仲直りしちゃったって流れでしょ? っつーことは、独身男が家庭を持つ男に成長したから、それまでのポリシーを投げ捨てて、自分の命を投げ捨ててまで、外的と戦う一人前の男に成長したってこと? いやー、そんなん面白くもなんともないけどなー自分は。っつーか、そういう「家族を持つからこそ誰かを犠牲にするのを諦める」とかそういうテーマは、対比の存在としてサノスが完璧に機能するはずでしょ? あの彫り込みじゃ、サノスと娘の関係って全然理解できなくありません? 自分の頭が悪いのかしら。

でもって、「誰かを犠牲にして最大の利益を得る」がNGなのに、「自分を犠牲にして最大の利益を得る」がOKなのは、うーんやっぱりやばくねーかこれ? この映画のテーマって、そんな安易なヒロイズムみたいなところに落ち着いちゃマズいと思うんですけど。酷い表現になるけど、「テロを喰らって自分の仲間が死んだら異文化に斟酌せず悪役として叩いてOK他者じゃなく自己を犠牲として戦う」に思えてしまってなんともなあ。周囲の話を聞いていると、この映画を手放しで絶賛している意見がかなり多くて、俺はビミョーな気持ちになってしいまうんですよハイ。いや、ちゃんと面白いし良い映画だとは思うんですけどね……