あーそうかーなるほどなー。アイヒマンのドキュメンタリーは前に見たけれども、捕まえる側はまありゃドラマになるよね。でもってこれだけ身近に元ナチスの人間がいる環境だったら、そりゃあ過去への反省とかせざるを得ないよなあ。日本とは戦後の国家の作り方がまるで違うとかもあるのだろうなあ。今度調べてみよう。
情報戦で国際的な問題で色んな登場人物がでてきて、といういかにも混乱しそうなつくりであるのに、ドラマの方はむしろ人間同士の交流の方に焦点が合っているので、話としては大変わかりやすい。アイヒマンを追うところをドラマとしての山場に持ってくるのは難しいのだろうし、あのクライマックスはむしろ逆算で生まれた感じもするよなあ。あそこまで丁寧に描かれると、年寄りが走るのを横から追いかけるだけでそりゃあ感動的に見えますよねえ。しかしほんとこのあたりの同性愛に対する罪の意識とかは度々取り上げられるけどよーわからん。まあキリスト教の文化は根っこのところから色々あったのだろうなあ、たった半世紀でこれだけ認識が変わったからこそ、映画で度々同性愛が取り上げられるのだろうなあ、などとも思う。
しかしモサドってやっぱやべーな。色んな映画にちょこちょこでてきてやべーことして帰っていく感じ。モサドメインの映画もうちょっと見て見たいものである。